1章 必要なものが明確だった成長社会 

オリンピックに向けて4Kテレビを買うか 近年、2020年開催の東京オリンピックに向けて、4K・8Kテレビが話題となっています。あなたは、オリンピックに向けて新しいテレビを購入する予定がありますか? ここで「はい」と答えた人はどれくらいでしょうか。私が開催するセミナーで参加者の方々に同じ質問をしても、挙手する人(買う人)はひとりいるかいないかといった印象です。そもそも、4K・8Kテレビが、いままでのテレビとどう違うのか、明確に答えられる人も多くはないでしょう。 現在の地上デジタル放送は4K・8Kと比較して「2K」と呼ばれますが、端的に言えば、4K・8Kは2Kよりも画面を構成する画素数が多くなり、映像がより緻密になったものです。確かにその画像はとても綺麗で、革新的なテレビだと言えます。しかし、多くの人々にとって、テレビにそこまでの鮮明さや美しさが必要なのでしょうか。 いま、私は本書のテーマである〝成熟社会〟の経営コンサルタントとして活動していますが、以前はある外資系半導体メーカーの研究員でした。そのときに、消費者のニーズとメーカー側の意識のギャップを感じたことがあります。 私が働いていたメーカーは、ブルーレイレコーダーやデジタルテレビなどの半導体製品を主力としており、売れ行きも好調でした。会社がどんどん新しい製品を開発し、大量生産・大量消費のビジネスモデルを追い続けていく中で、私は研究員としてさまざまな企画に携わりながらも、こんな疑問を感じていました。 「技術がどんどん進化していき、より良いものを、より綺麗なものを追求した先には、どんな結末が待っているのだろう」 一定の次元の満足を得ると、それ以上のものを有料では欲しがらなくなるのが、消費行動の原則です。もちろん消費者は4K・8Kのテレビの美しさを漠然とは理解しているでしょう。しかし、いま自宅にあるテレビで事足りている消費者に、お金を払ってまで買うほどの価値を感じさせられるのか。窓の外を切り取ったような鮮やかなテレビ画面で、万人に購入したいと思うほどの欲求を引き出すことはできるのでしょうか。

 

内閣府の「消費動向調査」によれば、モノクロテレビは1957年に発売され、その年の普及率は7・8パーセント。1966年販売のカラーテレビの普及率は、翌年1・6パーセントに対し、1969年を皮切りに倍々ゲームのように増え、1985年には99 ・1パーセントとなっています。それだけ消費者はテレビを欲していました。豊かな生活、つまり「幸せ」の象徴だったとも言えるでしょう。 「昭和の3種の神器」とまでいわれたテレビ。そこから時代は流れ、もはや、テレビのない家庭を探すほうが難しいでしょう。誰もが当たり前に所有するようになったいま、テレビに対する消費者のニーズがどこまであるのかは、誰にもわからないのではないでしょうか。 「不足」「不便」「不安」「不満」「不経済」の解消 1945年の終戦時、日本は焼け野原でした。日々の暮らしすらままならない、大変な世の中に突入した時代です。 そのような社会は、まさに「ないないづくし」でした。「不足」「不便」「不安」「不満」「不経済」がはびこり、多様なニーズ(欲求や必要性)や生活に必要なウォンツ(具体的な要求)が溢あふれていました。 誰もが「必需品」や「便利な物」を欲しがる時代には、当然、その需要に応えようといろいろなメーカーが立ち上がり、製品が増えていきます。困っている人がたくさんいて、その悩みを解消できるものを提供すれば、飛ぶように売れていきました。みんなが豊かな生活を目指しているときには、必要な「コト」や「モノ」が明確で、その悩みを社会やメーカーが解決する形で経済は回っていくわけです。ある種、わかりやすい経済発展の仕方であり、日本国内の消費だけでGDP(国内総生産)がどんどん増えていく時代でした。 「不足」「不便」「不安」「不満」「不経済」の解消というニーズを軸に、多くのウォンツを作り出していくことで、経済の復興に舵かじを切っていった日本。1968年にアメリカに次いでGDPで世界第2位になるまで、一気に経済成長の坂を駆け上がります。 この原動力は、日本が産業革命以降、国策として取り組んできた人口増加にあります。人口増加によって労働者は増え、所得も増えて資本も増え、消費者も増えていきます。ニーズがあれば、製品が増える。製品が増えれば、競争が激しくなり、もっと良いものをと各メーカーはさらに競う。そうして技術が進化し、市場が活発化していきます。

人口増大を前提とし、人々にとって足らないものや欲しいものがたくさんあり、それを 得るために切せつ磋さ 琢たく磨ま してきた時代。それが〝成長社会〟なのです。 人口減少が経済を大きく変える 日本経済の最大の転換期は、鎌倉幕府の時代からずっと右肩上がりに増加を続けてきた 人口が、2008年をピークに減少を始めたときだと言えます。また、企業の人的価値が、 いわゆる「ブルーカラー」と呼ばれる肉体労働者だけではなく、「ホワイトカラー」と呼ば れる知識労働者へと移っていったことも大きな要因です。 労働背景が変わってくると、いままでは中卒が普通だったのに、誰もが高校に入るよう になり、大学まで通う人が増えてきます。しかし、大卒の知識労働者が増加し、女性も四 年制大学に通うようになってくると、学歴や学力だけでは周囲との差が付かなくなってい きます。もちろん、大学のレベルはさまざまですが、それまでの「高卒と大卒」というは っきりとした違いがなくなることで、大卒というだけでは付加価値が付かなくなってくるのです。

 

そうしてみんなが大学進学を目指すようになると、学歴のスタンダードが中学校までだ った時代と比べて、子供を育てるコストが段違いに上がっていきます。 現在、ひとりの子供が生まれてから成人するまでのコストは、すべて国公立の学校や幼 稚園に通うとして、平均2000万円くらいだといわれています。 サラリーマンの平均とされている年収400万円を例に取ると、 30 年間働いた場合で1 億2000万円の収入になります。そのうち、老後資金も含めて夫婦で暮らしていくため に8000万円程度かかったとすると、残額が4000万円です。子育てひとり当たり2 000万かかることを考えると、子供を2人以上育てるのが、いかに大変かがわかると思 います。 加えて、それまで基本的に男性社会だった風潮が見直され、1985年に男女雇用機会 均等法が制定されたことも大きく、女性の仕事は単純で補助的なものに限定されていたと ころから幅が広がり、社会進出が進んでキャリアアップも求められるようになりました。女 性が社会で活躍するようになると、結婚・出産・子育てと、家庭中心だった女性の生活も 変化します。 女性のキャリアアップに伴い、少子高齢化が進んだ結果、一家族の人数は4人、5人が 当たり前だった時代から、人数が減っていきます。当然人口も減っていきます。急速に進 む人口減少には、このような背景があるのです。 通用しなくなる成熟社会のビジネスモデル 人口が減れば労働者も減り、消費者も減ります。長く成長社会を続けてきた日本は、大 量生産・大量消費というビジネスモデルを軸に駆け抜けてきましたが、それでは通用しな くなります。 社会が変化し、いろいろな技術が発達するにつれて、それまでの「不足」や「不満」が 次々に解消されていきます。洗濯は洗濯板で頑張らなくても洗濯機がやってくれるように なり、その洗濯機が二層式になり、全自動型になり……。 その先にあるのは、大量消費を前提としない世の中です。モノやサービスが溢れる供給 過多の時代がやってきます。人々の「不足」「不便」「不安」「不満」「不経済」を解消する ため、雨後の筍のように生まれたメーカー。今度はその数が淘とう汰た される時代がやってきた のです。いろいろなモノが溢れることで製品は売れなくなりますが、大量生産を基本とした工場 は、稼働を減らすことはできても止めることはできません。そうして供給ばかりが多くな ればモノやサービスの価値が下がり、デフレ圧力が強くなっていく。

 

工場を止めることができない製造業は、他社のPB商品の生産などで売り上げをカバー しようとします。そうなると市場にはさらに安くて良いものが出回ります。それでも、成 長社会から引き継いでいる日本の大量生産・大量消費のビジネスモデルでは、モノをたく さん作らないと売り上げは上がらない。その上、銀行、株主、補助金の審査など、資金提 供側は常に短期的に上昇する、右肩上がりの売り上げや利益を求めてきます。そのため企 業は方向転換をできず、何とかたくさんの製品を作って、無理やりにでも売ろうとします。 お金を提供する側からすれば、短気的な業績を重視するのは当然のことだと言えますが、 世界を見れば例外もあります。例えばアマゾンの株主は、長期的に株価を上げるためなら、 短期的に株価が悪化しても容認するというスタンスです。売上額や利益額の成長ではなく、 会社の成長を見ているのです。 ともあれ、こうして消費者の生活の隅々にまでモノやサービスが行き渡り、「不足」「不 便」「不安」「不満」「不経済」という悩みは解消されていきます。持っている人から持って いない人に渡す。そしてその渡したものの価値の高さで稼ぐというのが資本主義の根本的 な考え方です。悩みが解消されてしまえば「誰も困っていない」「誰もがそこそこ満足」と いう社会がつくり上げられます。それが〝成熟社会〟なのです 情報の外部化により思考が多様化する 社会は、情報面でも大きく変化していきます。1995年にはIT時代が到来。インター ネットが幅広く普及し始めると、個人のもとに、世界中から情報が押し寄せてくるように なります。家にいながら、手のひらの上で簡単に。 世界の情報が溢れんばかりにやってくると、個人の持つ情報や知識に偏りが出ます。そ うしてそれまで大差のなかった、人々が求めるモノやサービス、理想の生活、あるいは人 生の夢、目標といったものが、バラバラになっていきます。 昔の家庭には、家訓や我が家の方針のようなものがあって、家族の情報は統一されてい ました。「お父さんがこう言っていたよね」「お母さんはこういう考え方だよね」というよ うに、全員の共通思考があったのです。 その統一感が、ITの普及によって失われていきます。例えば家族旅行。従来であれば、 時間を共有した事実として家族の共通事項となるイベントです。しかし旅行先でもスマー トフォンばかりを見て、別行動をし、別の景色を見ている。そうすれば共通する記憶がな いのも同然になります。普段の生活でも家族が同じ場所に集まりながら、別々の情報を集 めている。そうして個々人の情報や知識が多様に増えていきます

 

趣味は別々のものになり、共有する記憶も少なくなっていきます。 「自分好み」に沿った情報だけを集めることで、思考はどんどんと個別化していき、人々 が求めることは多様化していきます。それまでみんな「豊かさ」や「快適さ」を欲しがっ ていたのに、一人ひとり別々の価値を求めるようになっていくのです。 消費者のニーズは測れない成熟社会のキーワードは〝共感〟 明日の食料には困らない、家電製品は満足に揃っており、とりあえず生活する分には事 足りる。もちろん高価なものや贅沢なものを欲しいということはあるでしょうが、現代で は、それが一般的に言う「普通」ではないでしょうか。生活に「不満」もなく、明日飢え るかもしれないというような「不安」もないのだとしたら、消費者のニーズはどこにある のでしょう。 成熟社会は、あまりにも情報が多過ぎ、人間が処理し切れなくなっています。朝起きて から寝るまでの間、どのくらいの情報に触れているのか考えたことはあるでしょうか。通 勤電車に乗れば中吊り広告が、メールやインターネットを開けば広告が、ドラッグストア に行けばPOPが。いまの企業のプロモーションはありとあらゆる場所から、消費者に向けて情報のマシンガンを打ち込んでいます。 その中で、どんな広告をどれくらい覚えているでしょうか。思い出すことのできる広告 の数は少ないと思います。 情報が多過ぎると、人は情報を防御することがデフォルトになります。たくさんの情報 が目の前に溢れたとき、自分にとって興味や利益となる部分を切り取り、そこだけをクロー ズアップさせていくのが人間の性さがです。そうした情報の取捨選択をいつも行っています。 では意識の扉が開き、記憶されるときはいつか。それは、〝共感〟したときだけです。人 は良い思い出、悪い思い出は思い出せますが、何も感じなかったときのことを思い出すの は困難です。人は記録のように記憶を残すのではなく、感情の動きを記憶しているのです。 人の興味関心を引き、同じようなシーンや気持ちを味わっていると感じさせることがで きないと、記憶に残すことは難しい。感情を動かして記憶に残さなければ、なかったこと と同じになります。 成熟社会において、不足や不満のない人は、共感したものを求めます。あらゆる情報の 中で共感したものだけを記憶に残し、その記憶の中で購買行動を起こします。自分が欲し いものを、本人はわかっていません。共感したから欲しくなるのです。そうであれば、消 費者のニーズを測ることは不可能です。消費行動を促すことはとても難しい世の中になっ ているのです。

 

新商品に反応しなくなる市場

 新しい商品の広告を打っても、無意識に情報の取捨選択を行っている消費者は、滅多な ことでは反応しません。また、成熟社会の市場はある程度完成されているため、消費者は ほかの製品で事足りています。そうすると、聞いたことのない商品には目もくれません。 例えばペットボトルの水。みんな自分の好きなものを選んで買っているように思います が、市場に出ている商品から数十、数百種類を味見して、その中からいちばんを選んでい る、という人は少ないでしょう。 ではどのように選ぶのかというと簡単です。過去から飲んでいたもの、昔から知ってい るものを買っているのです。普段飲んでいる水に特に不満もなければ、あるいは新製品が 出たら必ず試したいというほど好奇心が旺盛な人でもなければ、あまり冒険をしません。 人が新商品の水を実際に試すまでには、多くのステップが必要です。とてもよくできた 広告を生活の中で見ていて、いつも「何となく気になっている」といった程度の意識への 刷り込みがある。その上で、仲の良い同僚から「この水おいしいよ」という口コミを聞く。 そうして初めて新しいものに手を出す気持ちになるのです。そう考えると、いまの市場で新しいものを普及させるために、企業側でコントロールできることは少なく、とてもハードルが高いことがおわかりいただけるのではないでしょ うか。 成長社会ではみんなが情報を得ようとしている上に、情報の取得ルートがほぼ統一され ていました。企業はテレビCMなどのマス広告を打てば、広く認知される状態をつくり出 すことが可能でした。しかし成熟社会では情報の取得ルートはさまざまで、時間もバラバ ラです。売りたい商品を消費者に認知してもらうためのマーケティング活動は、困難にな っています。 人は元来「新しいもの好き」ですが、ある一定の満足感を得てしまうと、それ以上のも のを特に欲しいと思わなくなる。成熟社会ではこの現実が大きな課題となります。新しい ものが好きで興味があるけれど、お金を払ってまで手に入れたいと思わない。なぜなら、い まの状態で困っていないから。こうした消費者意識から、新しい製品を出しても、市場は 反応しなくなっているのです。

 

変わる〝幸せの定義〟 

「これ以上に何が必要か?」 ひと昔前、人々が考える「幸せ」には共通の形がありました。戦後、普通の生活もまま ならなかった時代には、「豊かな生活」が〝幸せの定義〟だったと言えます。「モノの豊か さ=幸せ」だったのです。 成長社会では、みんなが同じ方向を向いて頑張っていました。良い暮らしのために、一 生懸命勉強をして、良い大学に合格する。そうすれば良い会社に入れて、終身雇用で安泰。 何歳で結婚をして、何歳で家を建て、何歳で子供を産み、老後は夫婦でほっこりと暮らす ……。そんなステレオタイプとも言える人生プランが、人々の頭の中に刷り込まれていた 時代です。 逆に成熟社会は「誰も困っていない」社会です 生活の水準は安定し、学歴もみんなそこそこに高く、モノも潤じゆん沢たくにある。特定的に困難な状態でない限り、日々の生活を過ごし ていくことには不便や不安は感じない。 ある程度の恵まれた生活に慣れてしまうと、「これ以上に何が必要か?」という問題が出 てきます。いまよりもさらに生活水準を上げるために残業して、もっと勉強して、より良 い人生を、と考えるのではなく、「そんなに頑張らなくてはいけないなら、このまま平穏な 状態を保てればそれでいいかも」と考える人が増えてきました。 もちろん個人差はあります。ブランド品を買って高い車に乗って、毎年2回以上は海外 旅行に行く、というような生活を望んでいる人もいます。しかし、それが最大公約数であ るとは言えないのです。

 

企業も個人も〝ビジョン〟が必要

生活水準を上げることを目的としなくなると、多くの労働者は賃金や福利厚生だけでは 満足しなくなります。 「とりあえずはこれでいいかな」と思える環境や安定した生活が当たり前になると、人は 何を求めるのでしょう。出世しても、給料が大して上がらなくて苦労が増えるだけだから 嫌だなあ。かと言ってステレオタイプの生活にただ乗っかっていることにも違和感がある。 そう考えたときに、人は働くことに〝やりがい〟や〝共感〟などを求めるようになります。 いわゆるマインド面での〝ビジョン〟です。ビジョンという言葉にはさまざまな定義が ありますが、本書では「自分の世界観の中で自分はどう在りたいかという自分像」としま す。詳細は第8章で述べます。 成長社会には、会社のために社員が忠誠を尽くす、その代わりに生活を保証するという 「御恩と奉公」の考え方がありました。しかしこれからは、労働者の労働意欲を「お金」と いう画一的なもので引っ張ることができなくなります。個人にとっても、企業にとっても、 ビジョンがとても大事になっていきます。 企業は個人(社員と顧客)の幸せを願い、そのために何を提供できるかを考える。同時 に企業としてのビジョンをシェアし、どうすればビジョン通りに在り続けられるかを考え る。それを実現、維持するために売り上げを上げて、費用を使う、その残りが利益となる のです。そうした努力の末にお互いに良い形で接点を持つことができれば。企業に属する 社員は幸せであり、「ここで働きたい」と思える。そうして継続して自分のリソースを会社 に寄き 与よ してくれます。 近年「自分探し」という言葉も流は 行や っていますが、こうした風潮も成熟社会ならではと 言えます。生活に困っている時代には、そんなことを考える余裕すらありません。ある程 度の余裕ができてくることで、自分にとってどういうことが幸せなのか、自分がどう在りたいのかを模索し、自分のビジョンと合致する仕事を探すようになるのです。 しかし、私たちは教育の過程でビジョンの持ち方は教わりませんでした。そのためビジ ョンと欲望を勘違いして、現在の仕事から逃げたいだけなのに、仮りそめのビジョンをそ れっぽく語って会社を辞めていく人が多くいます。ビジョンを正当化のための武器として 振りかざしているのです。一人歩きしてしまっているビジョンという言葉を、いま一度再 定義する必要があります。 実存的虚無感という成熟社会の影 前述の通り、成熟社会では〝幸せの定義〟が社会で統一されることなく、個人的なもの となります。他人との比較は大きな意味を持たず、周囲を見ても自分の幸せはわかりませ ん。その上、学校教育では周囲との協調を教育されて、和を乱すような感情の発露はタブー 視されています。 そうした世界では、強い感情が湧きにくくなります。漠然とした「不安」を持っている 人は多くなりますが、明確な「不満」とはならないのです。しかも問題の解決策は成長社 会の方法しか教わっていませんから、成熟社会では通用しません。つまり、「不安は消えな い。でも不満がない」という状態が維持されていきます。 成長社会の「人より良い暮らし」という、わかりやすい尺度が失われるということは、つ まるところ「幸せな人生」のロールモデルがなくなるということです。そうして「自分に とっての幸せが何か」という疑問が常に付きまとうようになります。成熟社会では、幸せ な人生がどんなものか、個人で気づく必要があるのです。 会社や学校で言われたことはやる、でもやりたいことがあるわけではない。他人の評価 は気になるが、やりたいことをやっているわけではないので常に充足感がなく、自己評価 が低い。そのように行動の基準を他人軸で持ってしまい、自分軸を見失ってしまう人が増 えているのはこのためです。私はそうした感覚を〝実存的虚無感〟と呼んでいます。 人の行動は感情で決まる 自分自身が幸せな人生と感じるためには、ビジョンを自分の中に落とし込み、自分軸を 持って、真の意味で感情をコントロールできる、その上で自信を持って行動できる状態が 必要です。 「コントロール」という言葉の意味を考えてみましょう。 「車をコントロールする」といった場合、コントロールを日本語に置き換えると「運転」 となります。ハンドル、アクセル、ブレーキの三つを協調作業で動かすことを意味します 一方、「感情をコントロールする」を置き換えようとすると、「抑制」という言葉を思い浮 かべる人が多いのではないでしょうか。 「抑制」にはブレーキしかありません。つまり私たちは、「感情のコントロール=抑制」と 認識しており、感情をなめらかに出して行動するアクセルの踏み方や、在りたい姿に自分 を持っていくハンドル操作を教わっていないのです。 そのため、アクセルを急に踏んでキレる人がいたり、アクセルを踏むのが怖くて、自分 を抑え込んで辛い感情を味わったりしている人がいます。特に危険なのは、ブレーキを踏 み続けている人が、「アクセルを思いっきり踏め!」と教えられることです。ブレーキを踏 んだままアクセルを踏んで、ほどよくブレーキが壊れて走り出せればいいですが、大抵は エンジンがオーバーヒートするか、ブレーキが完全に壊れて暴走するかのどちらかになり ます。アクセルを踏む前に、まずブレーキを緩める。ブレーキを外してもいいのだと、自 分を許す必要があるのです。 自分の感情がどこでどう動くのかを知ることにより、自分の〝幸せの定義〟を見つけや すくなります。モノでつながっていた成長社会に比べ、成熟社会は感情でつながっていく 社会です。いかに感情を共有できるかが物事の解決策となるのです。 行動は感情で決まります。部下やスタッフを動かしたいと願うのならば、感情に着目す ることです。人の感情の動きは、欲求などのエネルギーの要素と、価値観や信念などの思 考に近い部分とに分かれます。人の感情を揺るがす、動かすというのは、心理的安全性を 保ちながら、相手にとっての当たり前(価値観、信念)を良い意味で裏切り、気づきを与 えるとともに、共感した状態をつくることです。その第一歩は、相手の価値観や信念を見 極めることなのです。

 

4層から考える成熟社会の課題 国家レベルでの人口減少への対応 これまで述べてきたように、日本では人口減少、情報過多が起こり、不自由なく暮らす 程度には、技術も十分に発達しています。貧富の差などはあっても、いまあるもので暮ら せるという意味で誰も困っていない世界が展開されています。 こうした変化が、社会のあらゆる面に問題を投げかけています。考えるべきはビジネス に限らず多た 岐き に渡り、私たちはその一つひとつを解決していかなければいけません。その 整理の意味も含め、本章のまとめとして、「日本」「日本人」「企業」「個人」の4層の視点 から全体像を捉え直します。 まずは日本という国。人口増加を前提につくられた社会保障システムは立ち行かなくなりつつあります。情報過多により多様化や個別化が進む中で、働き方改革、ワークライフ バランスなど、働き方の法整備も進んでいくでしょう。 国力をどの指標で測るかは難しいところですが、現在は国内の景気をより正確に反映す る指標としてGDPが重視されています。よってここでもGDPで話を進めることにし ます。 GDPは国内で一定期間内に生産されたモノやサービスの付加価値の合計です。生産に 人手が必要な産業では、人口減少への対応がいち早く求められています。しかし成熟社会 に切り替わったばかりの現在、採用が苦しいというばかりで、付加価値を生み出す仕組み を変える必要性に気づかない企業も多いでしょう。 業種業態にかかわらず、等しいリソースは「時間」です。国としては働き方改革で労働 時間を削減する、IT補助金を出して、ITでもできる仕事は代だい替たいできるように促す。こ のようにして、少ない人数でも付加価値を生み出せる仕組みづくりを促しています 日本人の価値観の変化 人の価値観はおおよそ10代から20代で決まるといわれています。その時期に、どのよう に生活の糧かて(主に食料など)を手に入れていたかが、価値観の形成に大きく関わってきま す。モノがない、お金がないといったときの、〝困り具合〟が重要になるのです。 戦後の成長社会初期は、「不足」「不満」「不便」が蔓まん延えんしていました。生活の糧を手に入 れるためには、市場に行き購入する必要がありました。冷蔵技術も発達していないため、良 いものは早く購入しないと売り切れてしまいます。同じものを多くの人が求めるので、喧けん 嘩かにならないように並んで購入するなど、ルールや常識が重要となりました。教育も「み んな一緒」が大事とされ、常識、普通、一般といった目に見えない基準が存在するように なりました。 成長社会中期、バブル経済全盛の時代には、誰も生活の糧に困らなくなった反面、「良い 暮らし=幸せ」の「良い」の定義が「快」に向かいました。 それまでは雨風しのげて食べ物があることが良い暮らしでした。そうした暮らしが普通 になったときに他人との比較は強まり、「快楽の量が多い=良い暮らし」という形に変わり ました。「幸せ=消費」の方程式がこの頃形成されます。 成熟社会に切り替わると、消費し切れないほどのモノやサービスに溢れるようになりま す。例えば映画やアニメが好きだとしても、レンタルDVDショップにあるすべての作品 を見ることは困難です。時間や経済的な面もありますが、その前に、何十何百と見ている うちに、飽きてしまうでしょう。

人間には限界があり、限界を迎えると〝飽きる〟という感情で飽和していきます。「幸せ=快楽=良い暮らし=消費=お金=仕事」。だから幸せになるために仕事をしてきました。 しかし成熟社会を迎えた日本ではこの方程式が崩壊していくのです。 企業では管理職の変革が求められる 企業の中で価値を生むのは社員です。オートメーション化が進んで機械が価値を生むこ とはありますが、その場合でも、機械をどうやって使ってどんな価値を生み出そうとする かを決めるのは人間です。 一方、人口減少で社員の獲得チャンスは、この先ますます減っていきます。ということ は、いまいる社員をどこまで伸ばせるか、社員が辞めない会社をどうつくるかが大事にな っていきます。結論から言えば、面白味のない仕事、人がやらなくてもいい仕事をITに 任していく。そうした点で、これからの会社は次の三つに分かれます。 ①技術が発達して安価に機械が手に入るようになる前に、人が辞めて会社が回らなくなる ②人が辞めるスピードより速く技術発達が進み、会社がうまく回る ③人が辞めない会社をつくることで、技術発達も常に受け入れ、人がやらなくていい仕事 をITに任せて、人にはやりがいのある仕事をイキイキとやってもらう。新しい価値を=快楽=良い暮らし=消費=お金=仕事」。だから幸せになるために仕事をしてきました。 しかし成熟社会を迎えた日本ではこの方程式が崩壊していくのです。 企業では管理職の変革が求められる 企業の中で価値を生むのは社員です。オートメーション化が進んで機械が価値を生むこ とはありますが、その場合でも、機械をどうやって使ってどんな価値を生み出そうとする かを決めるのは人間です。 一方、人口減少で社員の獲得チャンスは、この先ますます減っていきます。ということ は、いまいる社員をどこまで伸ばせるか、社員が辞めない会社をどうつくるかが大事にな っていきます。結論から言えば、面白味のない仕事、人がやらなくてもいい仕事をITに 任していく。そうした点で、これからの会社は次の三つに分かれます。 ①技術が発達して安価に機械が手に入るようになる前に、人が辞めて会社が回らなくなる ②人が辞めるスピードより速く技術発達が進み、会社がうまく回る ③人が辞めない会社をつくることで、技術発達も常に受け入れ、人がやらなくていい仕事 をITに任せて、人にはやりがいのある仕事をイキイキとやってもらう。新しい価値を生み出し続けていくことで、会社が活性化する。魅力的な会社で働く社員は自分の会社 を友人などに紹介し、採用コストゼロでさらに人が集まっていく ③になるためには、経営者や管理職が成長社会の感覚から抜け出し、会社の活性化を実 践しなければいけません。会社も人体と同じです。表現は良くないですが、長年会社に貢 献してきた管理職であっても、冷えて硬直し、ガン化することがあります。そのまま放置 すれば、周囲の若い組織にガンを撒き散らして機能不全にしてしまいます。経営者がガン になるとどうにもなりませんが、管理職に対しては早期発見、早期対処で改善が可能です。 管理職の変革ができた会社だけが、成熟社会を生き残ることができるのです。

 

個人は実存的虚無感からの脱出が肝 成熟社会ではモノやサービスだけではなく、人が消費し切れないほどに情報も増え、情 報を取得する方法や経路もさまざまになります。すると、人が持つ知識、価値観、興味も 個別化、多様化していきます。消費し切れず飽和し、さらに消費意欲を失って諦てい観かんするよ うになると、モノやサービスを欲しいと思わなくなります。 企業にとって消費意欲の減退は大きな問題です。モノを持たない「さとり世代」という言葉もあるように、人々は消費から遠ざかります。シェアリングエコノミーなどもその現 象のひとつです。 成長社会の上司が「消費=幸せ」を部下に叫んでも、部下には響きません。自分に〝幸 せの定義〟がないことに気づき、先に述べた実存的虚無感に襲われる人が今後ますます増 えていきます。 後の章でお伝えしますが、この実存的虚無感からの脱出が成熟社会の肝になります。仕 事はそつなくこなす。言われたことはきちんとやる。失敗はしないし、失敗しそうならや らない。でも、自分からやりたいことはない。当然イノベーションを起こそうというよう なモチベーションもない。 年配の方でも、会社を辞めると実存的虚無感に襲われることがあります。やることがな く、とりあえずみんながやっているからと、ジムやカルチャーセンターに通って時間をつ ぶす人も出てきます。実存的虚無感は成熟社会での個人が抱える課題となったのです。 本章では、成長社会から成熟社会への変化を中心に、国家、社会全体の問題点を広く述 べました。次章からは、それぞれの課題に対する解答や、そのヒントになる考え方を述べ ていきます。

 

第2章イノベーションが生まれる場所 

人々の共感を得るために イノベーションの三つの条件 本章では、成熟社会における「イノベーション」を考えていきます。 イノベーションには三つの条件があります。ひとつ目は第1章で着目した、共感です。共 感がなければ、人の心は動きません。当然商品やサービスを利用してくれることはありま せん。二つ目は、ビジネスとしてキャッシュフローが回っていること。そして三つ目は、イ ノベーションを実現できるための技術が十分に備わっていることです。 現在、デジタルカメラは定番のアイテムとなっていますが、最初からいまのように優れ た性能を持っていたわけではありません。また、当初は一般の人には手が届かないくらい 高価な商品でした。そんなデジタルカメラに最初に共感したのは、現像しなくても画像を その場で確認したいというニーズを持った、医療分野の企業です。そこから技術発達が進 み、安価になり、一般人の手に届くようになりました。 まず医療分野というミニマムかつニッチな市場でお金が回る状態をきちんと根付かせら れたことで、その利益によって商品の改良を重ねることができました。そうして高い技術 を安価で提供できるようになり、現在のように広く普及する市場がつくり上げられたの です。 人はわからないもの、知らないものを買うことはできません。多くの消費者に知っても らうためには、まず小さいビジネスで着地をして、利益を得ることが必要です。資本主義 システムでは、ビジネスの循環で次の技術への投資や、広く知られるための努力を行う必 要があります。 イノベーションというと、新しい技術が改良を重ねて出来上がった時点でブームになる、 電光石火的なヒットというイメージがあると思います。しかし、必ず先に挙げた三つの条 件をクリアして、多くの人に知れ渡るという道をたどっているのです。 消費者は興味のある情報しか集めない 人々の共感を得るためには、情報をどう提供していくかがとても大事になっていきます 戦前戦後はメディアの数が少なく、人は限られた場所、村や町レベルの情報しか集めるこ とができませんでした。それがいまや情報は氾濫しています。テレビをはじめ、ラジオ、新 聞や雑誌、フリーペーパー、ウェブサイト、情報番組、SNSなど、情報チャネルは多様 化し、あらゆる場所から情報を得ることができます。 天気予報ひとつをとっても、以前まではテレビやラジオで情報を得ていたのに、いまは ネットで雨雲レーダーを見たり、ゲリラ豪雨の情報を現地の人がSNSで拡散したり、テ レビより早く情報を得ることができるようになりました。ひと昔前は出版された情報が最 先端だったものが、現在では逆にインターネットで普及した情報がまとめられたものが本 になるといった変化もあります。 このように、多くの場所から情報が押し寄せると、人は自分の好きなカテゴリー、興味 のあるものにだけフォーカスを当てるようになります。ほかの情報は仕入れないし、覚え ようとしません。 新聞が主なニュースの情報源だった時代には、お金を払っているという意識もあり、多 くの人が毎日隅々まで読んでいました。そうしてまんべんなく知識を深めるということが 重視されていたのに対し、成熟社会では自分が好む特定のジャンルばかりの情報を集めが ちです。新聞の購読者が激減しているのも、コストに対して得られる情報が見合わないと 判断されているからでしょう。 情報感度と共感のバランスを高く保つ 現在でも、ニュースサイトでくまなく情報を集めて幅広いジャンルの知識を持っている 人はいます。ですが、成熟社会では、以前とは段違いに情報は速く、多くなり過ぎていま す。人間の脳では、とても処理できない量の情報が流れていると言っても過言ではないで しょう。 そのため、興味のある分野の情報だけを深く追求する人が多くなりました。キュレーシ ョンメディアやまとめサイトが重宝されるのも、情報量が過大になっている中で、効率良 く情報を手に入れたいという欲求によるものです。 いまも昔も、優秀な人の条件は〝情報感度〟が高いことです。成長社会における情報感 度が高い人とは、つまりは「物知り」でした。昔の村社会で長老が尊敬を集めていたのも、 ほかの人よりも広くいろいろなことを知っていたからです。 しかしインターネットが普及した成熟社会では、知識は持つものではなく検索するもの となり、記憶は外部化されるようになりました。そのような社会では、まんべんなく情報 を知っている人ではなく、特定の分野について深く知っている人が、知識のある人とみな されます。成熟社会での情報感度が高い人とは、好きな情報に対して感度が高いだけで、あらゆるジャンルへの情報感度が高いわけではないのです。 ビジネス、技術、ガジェット、車など、多々ある中で、自分の個性にあった、好みのジ ャンルに対して情報を仕入れています。簡単に言うと「オタク」です。知識の幅広さでは、 誰もウィキペディアに勝てません。オタクの人は特定ジャンルにとても詳しく、話してみ ると驚くほどの知識を持っています。 イノベーションとは、当たり前と思われていたことを壊して新しい当たり前をつくるこ とです。成熟社会におけるイノベーションでは、全員にとっての共通のものではなく、各 個人の共感をどれだけ得られるかが鍵になってきます。専門性が高くオタクのように詳し い知識、見識を持っていたとしても、他人の共感が得られなければイノベーションは生み 出せません。しかし、他人と共感し過ぎてしまえば〝自分だけが見える点〟がなくなって しまいます。これでもイノベーションは生まれません。 情報感度を高く保った上で、専門性、共感具合に対するバランス感覚も高く持つ。それ が成熟社会におけるイノベーターの条件なのです。

 

消費者は答えを持っていない 

ニーズを探るアンケートは無意味 消費者が何を求めているのか、何を必要としているのか、何が共感を呼ぶのか。これは 企業が製品やサービスを新しく開発しようとするときに、まず考えることです。 その方法として消費者へのアンケートを考える人も多いのではないでしょうか。既存の 製品に対する不満や改善点、あるいはどんなものを求めているかなどの調査を行い、その 分析結果で新しい製品を開発する狙いです。 匿名で答えるアンケートには、消費者の率直な意見や気持ちが的確に反映される……と 思いがちですが、実は成熟社会においては間違いです。もっと厳しく言うならば無意味で す。現代は「自分が何を欲しているのかわからない」、「自分の中に答えを持っていない」 消費者が多いからです。「こんなものがあったら便利なのに……」というニーズを探すこと自体が(もちろん、あ るにはありますが)、難しい社会です。満足度調査のようなアンケートでは、顧客の不満を 知ることができますが、その回答もアンケートに答えた個人にとっての不満でしかなく、万 人に当てはまるとは限りません。 そもそも新しい製品開発の目的は、いままでにない購買を生み出すことです。もし消費 者がアンケートに書くほどのニーズをすでに持っているとしたらどうでしょうか。成熟社 会では、情報チャネルも情報自体も豊富なので、自分が求めるものに近いものや代替品を すぐに見つけることができます。 例えばタブレット。使っている人も多いと思います。とても便利なものですが、タブレ ットがなかったときには、スマートフォンとノートパソコンで事足りていました。それで みんなすごく困っていたかというと、そうではなかったでしょう。自然とこの二つを選ん で、何度も繰り返し使う。そうすることで、その選択が当たり前のことになります。もっ と便利なものはないか、良いものはないかと考えることはありません。 この場合、アンケートではユーザーの困り事は見えてきません。隠されたニーズを満た すものが開発されて、実際に市場に出されることで初めて多くのユーザーが共感し、新し い市場が出来上がるのです。脳は質問に無理やり答えようとする アンケートが無意味だということには、人間の行動心理が関係しています。 私はコンサルティングやセミナーなどで、「脳はノーを否定できない」とよくお伝えしま す。少し理解しがたいことですが、人間の脳は否定の文章を言われても、頭の中では肯定 のイメージとして想像してしまいます。脳は「イエス」と「ノー」の区別をつけることが できません。 簡単に思考実験してみましょう。 自分が八百屋さんにいることを想像してください。 では、その状態で大根を「想像しないで」ください。 キャベツも「想像しないで」ください。 想像しないでください、と言われても文章を見た瞬間、目の前にまざまざと大根やキャベツを想像してしまうでしょう。これは人間の脳のメカニズムとして避けられないことで す。脳は「イエス」と「ノー」、ここで言えば「してください」と「しないでください」を 識別できないのです。 アンケートの効果が疑われる理由となる脳の機能として、もうひとつ。「質問されると、 回答しようと頭が働く」ことです。 人は質問されると回答モードになります。すぐに答えが見つからないものや、そもそも 答えがないものであっても、何とか答えを探そうとします。それでも全く思い浮かべられ なければ、途方に暮れてしまいます。「答えがない」という結論を出すことは難しいのです。 これをアンケートに置き換えてみます。目の前にアンケート用紙があり、普段使ってい るテレビに関しての設問がいくつも並んでいます。さらにこのアンケートに答えると商品 券が500円分もらえるとすれば、誰もが一生懸命考えるでしょう。 「いまお使いのテレビに不満は?」「テレビでこんなのがあったらいいと思う機能は?」「デ ザイン性は?」と質問されたら、「とりあえず」「何となく」不満や困っていることを絞り 出して、回答します。 また、アンケートに答える際には実際のニーズではなく、「アンケートに回答すること」 自体に意欲や意思をもって臨みます。そうして通常の心理状態から外れてしまい、「とても 欲していること」ではなく「強いて言うならこれかな」という視点でアンケートに答えて しまうのです。 そうして脳が無理やり出したアンケートの結果を用いて、実際に消費者の意見を反映し た(とする)テレビを開発したところで、消費者の心は動くのか、購入されるのか。残念 ながら結果は期待通りにならないことが多いでしょう。アンケートに答えたときと通常時 とでは消費者の気持ちに乖かい離り があり、購買を促すほど心を動かすことはできません。せっ かく開発費を投資しても、購入にはつながらないのです。 成熟社会の技術はこれまでにないほど発達していますが、いくら最新の技術を駆使し、市 場の声を聞いて新しいものを開発しても、消費者が本当の意味で困っていない。そのため、 購買においてこのようなズレ、ギャップが生じるのです。ウォンツを消費者と一緒につくり出す 成長社会で成り立つビジネスは、次の2択でした。作った後で相手に聞くか、相手のニー ズに合わせて作るか。専門用語では、「プロダクトアウト(=作った後で相手に聞く)」、 「マーケットイン(=相手のニーズに合わせて作る)」と表現します。 しかしながら、どちらの手法も通用しないのが成熟社会です。作った後で売れなければ大損ですし、そもそも相手のニーズがわからないので合わせることはできません。プロダ クトアウトを狙って開発したものが、結果的に共感を得られてイノベーションとなること はあります。しかし、それは開発メンバーに特殊なセンスを持つ人がいて、その人が権限 を持っていただけです。 そうではない会社がイノベーション、あるいは何かの新規事業や新製品を作り上げるた めには、消費者と共にニーズをつくっていく、もしくは個人に刷り込まれた先入観を壊す モノやサービスを作り出す姿勢が必要です。売り手も買い手もニーズがわからない。その 手探り状態を一緒に解決していくことになります。 人は何をしていいかわからなくても、出されたものに対して肯定否定はできます。例え ば「ランチ何を食べに行く?」と聞かれて、食べたいものも食べたくないものも思い浮か ばないのに、「ラーメンはどう?」と提案されると「それは嫌だな」と明確に答えが出たり します。ニーズはわからなくても、ウォンツに関しての肯定否定はできるのです。 つまり、答えは顧客が知っているけれど、顧客は答えに気がついてない。だから無意識 のニーズを探りながらウォンツを一緒につくり出すことになります。会社の製品やサービ スのファンを増やし、思いついたアイデアやコンセプトをファンにぶつけて肯定否定を受 けながら、方向性を見極める。一見非効率なやり方ですが、ビジネスの答えはないと言え るのが成熟社会です。仮説検証ではなく、共感を得ながら商品を作っていく。そのための 意識、感性、センスがより強く問われてくるのです。

 

やわらかいイノベーション 

既存技術×既存市場の組み合わせ イノベーションは、身近な場所に点在しています。よく例に出されるのはスマートフォ ンでしょう。あるいはAI、インスタグラムやフェイスブック、Tik Tok などもイノベー ションだと言えます。こうした新技術は確かに素晴らしいものですが、その開発や製造コ ストはとても高額で、大きく儲けるまでには、巨額の広告宣伝費なども要してしまいます。 「イノベーション」という言葉には画期的な新しい発明というイメージがありますが、そ れだけではありません。イノベーションを簡単に分類すると、 62 ページの図のように市場 と技術をそれぞれ新規と既存に分けた4通りの組み合わせができます。この中で、新技術 で新しい市場をつくる新規需要創出の事例はメディアでたくさん紹介されています。リニ アモーターカー、Pepper くん、スマートスピーカーなど、社会全体にインパクトを与える ようなイノベーションです。 もちろんそういった例も大事なのですが、私がおすすめするのは、4通りの中でも既存 技術× 既存市場の組み合わせ、他分野の既存技術を使って、自分の既存市場で役に立つモ ノやサービスを提供するイノベーションです。これが4通りの中でいちばん生み出しやす いと私は考えます。実際の市場でも、新技術× 新市場のイノベーションよりこちらのほう が多くなっています。私はこれを〝やわらかいイノベーション〟と呼んでいます。盛大で 華々しいインパクトはないけれど、安価で身近なモノの組み合わせでイノベーションを起 こすことができるのです。潜在的な困り事の解決 やわらかいイノベーションの例として私がよく例に出すのが郵便切手です。 セミナーの参加者の方々などに、「郵便切手について、何か困り事はありますか?」と尋 ねても、手が上がりません。「破れてしまう」「金額が細かいとたくさん貼らないといけな い」など、小さな不満はあるけれど、「ずっと使っているものだし、そんなに不便さを感じ るほどでもない」というのが一般的な意見です。 最近はシール型の切手が販売されているのをご存知でしょうか。セミナー参加者の方に従来の切手とどちらがいいかと聞くと、シール型が支持されます。これがやわらかいイノ ベーションです。シールという既存技術、それが切手という既存市場で役に立つのです。 イノベーションは商品に限りません。近年、車のメーカーや販売会社が力を入れている 「残価設定クレジット」も革新的でしょう。これまで車を購入するときには現金一括払いか ローンの分割払い、あるいは現金で払った残りをクレジットカードで払うなどの方法でし た。残価設定クレジットとは、数年後のタイミングで見込める下取り価格を残価と設定し、 その残価をローン最終回分として据え置くことで、月々の支払額を抑えたものです。いま までの車の買い方に変化を及ぼすイノベーションです。ほかのビジネスモデルでも活用で きたら面白そうです。 これらの事例は、明確に困ったことはなくても、潜在的に感じていた困り事の解決です。 「当たり前」だと信じて疑わず、特に困ってはいなかった場面にこそ、「いままでなぜなか ったんだろう?」というやわらかいイノベーションが生まれるのです。イノベーションが文化になるまで みなさんは、どんな洗濯洗剤を使っているでしょうか。たくさんの種類がありますが、粉 洗剤ではなく液体洗剤のほうが多いだろうと思います。実は、液体洗剤が販売された当初、あまり普及しませんでした。粉洗剤のほうが汚れが 落ちるという認識が消費者の根底にあったからです。それからさまざまなアプローチやプ ロモーションをし、液体洗剤が粉洗剤と同様に使われるようになるまで、5年から7年の 歳月がかかったと聞きます。 広く使われるためには、まず消費者に先入観を壊してもらい、繰り返し使ってもらわな ければいけません。ここに高い壁があります。これはブームや文化といった言葉でも表現 できます。イノベーションによってブームが起き、頻繁に使われることで、それがあるの が当たり前となるのが文化です。 最近人気のJINSのメガネは、イノベーションが文化となりつつある好例でしょう。 携帯電話やスマートフォンのブルーライトに着目し、「目を守るためにメガネをかける」 というコンセプトは多くの支持を消費者から得て、市場を着実に伸ばしています。「目が悪 くなったらメガネをかけましょう」という人々の先入観を覆しました。目を守るためにメ ガネをかけるという意識は、いまや一般的なものになっています。 新技術や新市場でのイノベーションでは、文化や習慣が大きな壁になります。特に日本 人は、新しいものを受け入れるのが苦手のように感じます。その点でも、既存技術× 既存 市場であればハードルが下がります。先入観にひっかからず、マイナスな心理的影響が少 ないからです。相手が「なるほど!」と共感しやすいのです。

 

イノベーションの種を見つける 

当たり前の行動にヒントがある 消費者は答えを持っていないけれど、実は潜在的に困り事がある。ではその潜在的ニー ズを顕在化するにはどうしたらいいのかを考えていきましょう。 潜在的ニーズは、その人にとって当たり前の行動をよく観察することにより顕在化しま す。この観察こそがイノベーションの種を見つけ出す方法です。 ある行動が習慣になる、当たり前になるということは、人にとって自然なことです。す べての行動に思考を挟んでいては、処理量が膨大になり頭が疲れてしまいます。歯を磨く、 シャワーを浴びるといったような基本的な動作は、何度も繰り返すことで深く考えなくて も勝手に身体が動くようになります。そのほうが人にとっては楽なのです。 しかし、ときにそれが不合理になっている場合もあります。本当なら改めたほうがいいのに、習慣になってしまっているがために気づけない。 例えば、同じ仕事をするのでも新入社員とベテランとでは進め方が全く違います。ベテ ランは同じ業務を長い期間繰り返し行っていて、当たり前の作業と思っています。それが いちばん効率の良い形であればいいのですが、そうでない場合もあります。新入社員が新 しい観点から見れば、作業を短縮できるかもしれません。 特にIT技術に関しては日進月歩です。いまだにコピペを繰り返していたり、二つのデー タを並べて目視で比較していたりするベテラン社員を見ると、マクロやプログラムを使え ば簡単にできるのにと残念に思います。 不合理な周期性 不合理にもかかわらず、習慣化されてしまったために繰り返される周期性、ここではそ れを〝不合理な周期性〟とします。 この原稿はパソコンで書いています。一般的なキーボードは「Qク ワーティWERTY 配列」といわ れるキー配置を採用しており、これはタイプライターの名な 残ごりです。タイプライターではキー を打つスピードが速過ぎるとアームが絡まって壊れてしまうために、時間を稼げるように、 あえて打ちづらいキー配列にしていました。つまり現在のキーボードは、英語入力には効 率が悪いのですが、世界標準で使われています。日本人である私が日本語を打つときには 「かな入力」をマスターすれば打つ回数はさらに少なくなるはずですが、ローマ字入力のま まです。 これが不合理な周期性です。不合理であるとわかっていても、ずっと繰り返してきてし まったために、なかなかやり方を改められません。精度の高い音声入力ができるようにな るまで、しばらくはローマ字入力のままでしょう。そもそも、キーボードの入力方法に疑 問を感じる人も少ないでしょう。私はたまたまその不合理を知る機会がありましたが、知 らない人も多いと思います。不合理な周期性は他人に見てもらったり、教えてもらったり しなければ気づかないことが多いのです。 不合理な周期性に気づき、イノベーションの種を見つける。そのために必要なのは、普 通に生活してきた中で、「当たり前だ」と思っていることを当たり前としない意識です。当 たり前に行う動作で、周期性を伴う、つまり何回も繰り返す行動にヒントが詰まっていま す。それをよく観察することが顕在化につながるのです。

 

先入観を持たずに観察する方法 

観察をする際には、観察者側(自分)が持っている先入観や思い込みをすべて捨てることが重要なポイントになります。 私は「エスノグラフィー」という、民俗学や文化人類学、社会学で使われる研究手法に 近いやり方で観察することをおすすめしています。エスノグラフィーとは、先住民などの 外界から閉ざされた場所で暮らす民族の生活様式を知るため、その民族を長期に渡り観察、 話を聞くなどして、文化や行動様式を記録するものです。ビジネスの分野にも広く取り入 れられている手法です。 他文化の民族を観察する際に、観察者側の文化や常識を当てはめても全く意味がありま せん。その民族の行動をよく観察し、その民族が「当たり前」に、周期的にやっている行 動を見つけ出します。例えば先住民たちが集団で踊っているのを見たときに、先入観を持 って見てしまうと「祭り」「儀式」「祝い」といった連想をしてしまうかもしれません。し かし実際はその踊りに、まるで違う意味があるかもしれないのです。 自分とその民族の間に違いがあるとき、「正しい/間違い」という定義に意味はありませ ん。判断の基準となる先入観を捨てることが重要なのです。成熟社会では仮説検証は成り立たない 先入観を捨てるということは、とても難しいことです。特に成長社会に慣れ親しんだ人 は、物事はこうしなくてはいけない、こうでなくてはならない、もしくは「正しい/間違 い」という型に当てはめて考えがちです。そうした判断が成長社会での効率を高めていっ たことは間違いないのですが、イノベーションを生み出す上では弊害になります。ひとつ の物事に対して正しい/間違いと当てはめるのではなく、どちらも尊重するという考え方 でなければイノベーションは生み出せません。 また、成長社会では、仮説検証の考え方が当たり前でした。問題が起きたときに闇雲に 原因を調べるのではなく、この可能性が高いのではないか、と仮説を立てて原因を調べて いく方法です。 しかし、成熟社会では消費者自身が答えを持っていないため、厳しく言えば仮説検証は 成り立ちません。または仮説を立てた人間の思い込みになりがちです。仮説検証は基本的 に過去の経験からの類推にほかなりません。新しく観察されたもの、いままで見えていな かったものをベースにはしていないのです。観察した結果手に入ったものを仮説検証する のは有効ですが、観察前に仮説を立ててしまうことは自分の視野を狭めることにつながり ます。観察をする際にいちばん適している方法は、対象の行動をビデオに撮ることです。行動 の前や最中に質問をすると、相手は質問に従ってしまうモードになるので、まずはひと通 り、何も言わずにビデオを撮ります。素の状態でいる観察相手を撮影するのです。その後疑問に思う行動などについて話を聞き、その行動を分析した後に仮説を立てるといったや り方が有効です。 イノベーションのためには、過去に刷り込まれてきた物事、自分の中の決め付けられた 考え方を疑う意識を持たなければいけません。何かを観察するときには、「相手がすべて正 しい。自分の師匠である」と考える。それくらいの心持ちで臨んでほしいと思います。 

 

第3章 成熟社会型ビジネスモデル 

ビジネスモデルを着替える 「ビジネス」の定義 本章では成熟社会における「ビジネスモデル」を考えます。この言葉も定義が曖あい昧まいです。 読者のみなさんはどのように捉えているでしょうか。本書では、「ビジネスモデル」のほか に、「ビジネス」「ビジネスコンセプト」といった用語を使ってお話ししていきます。まず はそれぞれの違いについてです。 「ビジネス」とは価値を生み出し、対価を得ることです。 成長社会の考え方では「モノ=価値」です。そのため、いまでも「良いモノを作れば売 れる」と考えている人が多くいます。成長社会では、モノ・サービスを用意すれば売れた のですから仕方のないことです。 ビジネスの骨子となる概念は「〝誰〟の〝何〟を〝どうやって〟」です。これを専門用語 で「ドメイン(生存領域)」と言います。「ビジネス」、「ビジネスモデル」、「ビジネスコン セプト」いずれにも関わります。 成長社会でのビジネスは「〝誰〟の〝何〟の問題を〝どうやって〟解決するか」といった、 問題解決型として成り立っていました。しかし成熟社会になると誰も困っていないので、こ の概念も変わってきます。みなさんもランチなどで、お腹は空いているけれど特に食べた いものがなく、お店が決まらず悩んだ経験はないでしょうか。ニーズ(お腹が空いてる) が顕在化しても、ウォンツ(食べたいもの)が定まらないのです。 モノ・サービスに溢れている成熟社会では、お腹が空いて食べられないことに困ってい るわけではありません。お店が決まらないことに一見困っているように感じますが、お金 を払って誰かに決めてもらうかというと、そんなことはないでしょう。選択肢が多いから 選び切れずにいるだけで、お金を使って解決したいほどには困ってはいないのです。つま りビジネスになるほどの困り事ではないということです。問題解決だけがビジネスではな いのです。 ビジネスとして成り立つためには二つの点がポイントになります。①できなかったことをできるようにしてあげること ②快感を与えるか、苦痛を取り除くこと。または両方を与えること 例えば医者というビジネスは、①自分で治すことができない病気を治してくれる、②苦 痛や恐怖が取り除かれる、といったように、二つのポイントが成立しています。では別の 例として、墓石屋はどうでしょうか。①日本人の価値観に合った弔いのために、自分では 作れない墓石を作ってくれる、②墓石があることできちんと弔いをすることができたとい う満足感を得ることができる。一見成立しているように見えますが、日本人の価値観が変 化し、樹木葬や散骨が一般的なものとして受け入れられるようになったらどうなるでしょ う。おそらく墓石屋はビジネスとしては成り立たなくなります。 このようにモノ・サービスをしっかりと提供していても、価値観が変化して価値になら なくなり、ビジネスが立ち行かなくなるのも成熟社会です。「〝誰〟の〝何〟を〝どうやっ て〟」を再確認、再定義する必要があるのです。

 

「ビジネスコンセプト」の定義 

近年、ガムの消費量が減り、タブレット(錠菓)の消費量が増えているようです。ガム が提供していた価値は口寂しさの解消や口臭予防といった問題解決と、味や食感などの快 感です。タブレットも同じ問題解決をサポートしていますが、ガムと違ってゴミが出ない、 他人に不快感を与えないことが人気を後押ししている要因のようです。ガムの味や食感は、 ゴミが出ないという価値に対抗するには足りなかったのでしょう。 「ビジネスコンセプト」とは、どんなビジネスなのかを簡潔に表したものです。 成熟社会では覚えていてもらう、相手の記憶に残る、つまりマインドシェアの獲得が重 要になります(マインドシェアについては第4章で説明します)。ビジネスコンセプトがし っかりしていることで、他者(見込み客)に理解され覚えられやすくなります。 ビジネスコンセプトはドメイン(「〝誰〟の〝何〟を〝どうやって〟」)を含んでいます。同 じミント系のガムとタブレットであれば、ドメインが似ていると考えることができます。 〝会議で疲れたビジネスマン〟が〝シャキッと目覚める気分転換〟を〝清涼感を口の中に生 み出す〟ことで解決する。 つまり、ドメインだけではガムとタブレットの区別は付きません。しかし実際には後発 であるタブレットがガムに勝っています。つまり、タブレットには優位性・差別化がある ということです。 ドメインに優位性・差別化を加えたものが、ビジネスコンセプトとなります。タブレッ ト(錠菓)という製品は〝会議で疲れたビジネスマン〟が〝シャキッと目覚める気分転換〟を〝清涼感を口の中に生み出す〟ことで解決するというドメインに、〝ゴミが出ない〟とい う利点を加えたものが、タブレットのビジネスコンセプトです。加えて、タブレットの宣 伝やCMでは、清涼感の持続と強度を強調しています。 成熟社会はモノ・サービスに溢れています。何と比較して覚えてもらうか、ライバルの 設定がとても重要です。ビジネスコンセプトはビジネスにおいてどう勝つかを描くための 戦略的要素を持っているのです。 「ビジネスモデル」の定義 ビジネスコンセプトをどう実現していくかが「ビジネスモデル」になります。 ビジネスモデルに大きく関わるのは、価値を作る仕組み(人材&内部プロセス)、それを 支える資金(財務)、そして、価値を伝えて、売り込まなくても売れる仕組み(マーケティ ング)の四つです。成熟時代における各要素の考え方は、この後の章で、それぞれ詳しく説 明していきます。 ビジネスモデルは、「ビジネスに付随する一連のストーリー」とも言えます。 ・どのような仕組みで・どのような活動やリソースで ・どのような価値を ・どのような顧客に ・どのように知らせるか ・どのように共感してもらうか ・どのように価値を届けるか ・その価値をいくらで提供するか ・どこからお金を調達して ・どう集金するか ・何に費用を使うのか といった、ビジネスにおけるあらゆる事柄を組み立てて物語をつくります。ビジネスコ ンセプトがイメージ的なら、ビジネスモデルは具体的です。 「ビジネスモデルを変える」ということを例えるならば、衣替えです。春夏秋冬、ずっと 同じ服でいる人はいないでしょう。季節ごとの洋服と同じように、ビジネスモデルも時代 に合わせて変えるものです。成長社会でフィットしていたビジネスモデルも、成熟社会と いう季節にはフィットしないという状況になっているのです。ビジネスを変えずにビジネスモデルを変える 成長社会の余波が残っている現時点では、成長社会のビジネスモデルだけでもうまくい く業種は多いでしょう。その間に、ビジネスモデルを新しくつくるか、軌道修正をしまし ょう。いままでのビジネスを捨てる必要はありません。ビジネスモデルを変更、もしくは これからの成熟社会のためのビジネスモデルを考えていけばいいのです。 成長社会の考え方から抜け出せない人は、ビジネスを変えずにビジネスモデルを変える ということが理解できない場合が多いので、軸足がしっかりしているうちに、新しいビジ ネスモデルを展開することを考えましょう。 では、どうやって変えるのか。いつもセミナーでこんな話をさせていただきます。 昔、ファミリーコンピューター(通称「ファミコン」)が流行しました。ゲーマーのAさ んがゲームのカセットを発売日当日に5000円で買います。ところが1日でクリアして 飽きてしまったので、Aさんは中古屋さんに売ることにしました。発売日翌日に売りに来 る人がいるから中古屋さんも驚きです。当然すぐ別の顧客に売れることが期待できますの で、3000円という高値で買い取ります。一方で、ゲーム大好きBさんはこのゲームを発売日当日に買えず落ち込んでいました。ど こに行っても新品は売リ切れ。一いち縷る の望みで中古屋さんに行ったら、なんと売っている! Bさんは喜んで4500円で買いました。 この場合、ゲームメーカーはAさんからお金をもらい、中古屋さんはBさんからお金を もらいます。一見、みんなハッピーに見えますが、ゲームを遊んだのは2人なのに、ゲー ムメーカーにはカセット1本分のお金しか入りません。店頭で売るためには箱に入れ、き ちんと包装しないといけませんし、説明書も必要です。また、販売個数を増やすために巨 額の広告費もかけています。さらに、ファミコンのカセットは、もしバグが発生し動かな くなってしまったら回収しなければなりません。 IT技術が発達していない時代のゲーム産業は、こういうビジネスモデルでした。しか し、技術発達が進んだ成熟社会では、インターネットからゲームをダウンロードできるよ うになりました。そうすると、中古屋さんに売られることもなく、2人がプレイしてくれ れば、2人分のお金が手に入ります。ダウンロードなので、箱も説明書も必要ありません。 また、もしバグがあったとしても都度アップデートでき、制作過程の時間やコストも昔ほ どかからずに済みます。飽きさせないように追加シナリオを出し続けて、AさんやBさん にプレイし続けてもらうことも可能です。両者を比較すると、ゲーム(価値)を提供して対価を得るという基本的なビジネスは変 わらないけれど、提供方法や販売方法が変化しているということがわかると思います。「ビ ジネスモデルを変える」とはこういうことです。 お金の取り方ひとつ取っても、第2章でお話しした残価設定クレジットや、基本的なサー ビスを無料で提供し、それ以上の特別な機能については課金する「フリーミアム」、モノを 買い取るのではなく、利用した期間に応じて料金を支払う「サブスクリプションモデル」 など、さまざまな形態が増えています。成熟社会に合った形態や技術を組み合わせたビジ ネスモデルが、他社との差別化になるのです。 ただしスマートフォンゲームのビジネスモデルも、良いことばかりではありません。箱 もカセットも作らず、流通がインターネットとなれば、参入障壁が低くなります。ライバ ルが多くなり、競争が激しくなります。 世の中に完璧なビジネスモデルは存在しません。必ず利点と欠点は同時に存在します。だ からこそ、ビジネスは面白いとも言えるのですが。

ビジネスの正解は誰にもわからない


儲かることが前提だった成長社会 成熟社会においてビジネスを始めるときに、本当に需要があるのか、売れるのか、という予測はできません。「儲かるのならそのビジネスをやる」という考え方が、ビジネスを始める際のいちばんの足あし枷かせとなります。そもそも資本主義の中で確実に儲かるビジネスなどありません。もしあったとしたら、誰もがそのビジネスを始めます。そうなれば需要と供給が崩れ、価格が下がり、誰も儲からないビジネスとなりますが……。 ただ、成長社会ではこれがある視点では正しい考え方だったと言えます。なぜなら、人口増加によって新規客が増え続けていたからです。人口増加が前提の社会では、国も社会も企業も、市場がどう伸びるのかを予測し、マーケットサイズを計算しました。そこから、どのくらい儲かるという予算を立てることができました。ビジネスモデルを考える際の議論は「AとBのどちらがより多く利益が出るか」ということが中心でした。成長社会では儲かることが前提となっていたわけです。 供給より需要が多い成長社会ならではの考え方です。販売する商品を考えたときに、このくらいの人口の伸び率があるから、このセグメントの人たちに、このビジネスモデルで売っていけば、このくらいの割合の人が買ってくれるだろう、という「正解」がわかっていたのです。 そのため、昔のビジネスでは「選択と集中」が有効でした。いろいろなビジネスに手を出すのではなく、何のビジネスをやるか選択する。そこに一点集中し、資金やリソースを全投下して、一気に攻め込む。それで採算が取れていたわけです。「選択と集中」には危険しかない「選択と集中」は、ある程度正解がわかっていた成長社会にしか通用しない考え方です。成熟社会ではビジネスの正解は誰にもわからないため、「選択と集中」でビジネスモデルを動 かすことは、博ば く打ち になってしまいます。ひとつのビジネスモデルが失敗してしまったときに、会社自体が危なくなってしまうこともあり得るわけです。 正解がわからない、うまくいくかわからないのでリスクを避けるために分散するという考え方を根付かせることが必要です。成長社会を過ごしてきた人には違和感のある考え方かもしれませんが、ほかの分野で考えてみればわかりやすいと思います。例えば投資。投資とビジネスは、「お金を増やす」という意味で同じ目的を持った行為で す。お金を増やすためにひとつの有望株に全財産を投下する人は珍しいのではないでしょうか。できるだけローリスクにするため、いわゆる一般株に加え、金塊や不動産、債券、もしくは外国株などに分散投資を行い、安定的にお金を増やすのが基本的なやり方、考え方です。 あるいは農業です。お米農家の方は、天災や不作に備えて、麦を育てたりします。「お米が不作のときには、麦が豊作」という負の相関関係のあるものを育ててリスク分散します。野菜農家の方も、白菜だけではなくキュウリもナスもと、しっかりと管理して季節ごとの野菜を作っています。投資ではポートフォリオを組むことが基本、農業では多作が基本なのに、ビジネスではなぜ「選択と集中」なのでしょう。「未来がわからない」という認識から考えれば分散が当たり前です。しかし、ビジネスでは頑かたくなにひとつの方法で儲けようとする人が多い。考えてみれば不思議なことではないでしょうか。 バスケットボールに「ピボット」というテクニックがあります。バスケットボールはボールを持って3歩以上歩くと反則(トラベリング)になりますが、軸足を動かさずに、片足だけを動かすと一歩にはカウントされません。 ビジネスも同じ考え方ができます。本業(軸足)でまだきちんと稼げているうちに新しいビジネスを試し、次の足(ビジネス)の置き場を決めてほしいのです。

迅速な行動がリスクを下げる

幸福なアライアンスを組むために 本業以外のビジネスを始める際に、自社のさまざまなリソース、主には人員をつぎ込ん でしまうと、本業の人手が足りなくなってしまうという事態が起こります。中小企業では よくある話ですが、そこでまた「選択と集中」で新しいビジネスに力を傾けると、博打に なってしまいます。 チャレンジしたい分野はあるものの、人員を割くことまではできずに兼任させる。しか し繁忙期になると本業に手を取られ、新しいチャレンジは結局進まない。そうしたジレン マを抱える企業も多いかもしれません。大手企業であればM&Aで会社を買ってくるとい うこともできますが、それもかなりリスキーです。 そんな場合には、アライアンスを組むという選択肢があります。すでにビジネスを始めている企業や人とうまく連携し、お互いにwin-win の関係を築くのです。 その際にいちばん重要なのは、「自分たちが知らない分野だから、詳しい人と組もう」と いう考え方を捨てることです。「自分たちには知識がないから丸投げしちゃおう」というこ とになると、それはもうアライアンスではなく、ただの下請けです。上下関係ができてし まうのであればまだいいのですが、最悪の場合、終着点を勝手に決められ、いいように逃 げられてしまいます。知らないことを丸投げすれば、当然のことです。 私が受ける相談事で、こんな事例がよくあります。 新事業を始めるためにITシステムを入れたけれど、システム会社は納品して終わり。発 注側に知識がなく、せっかくのシステムを動かせないで塩漬けになっている。 発注側は全部を整えてビジネスの軌道に乗せるまでのサポートを望んでいたのでしょう が、客観的に見て、システム会社側は間違ったことをしていません。ただ、実際には「発 注側はこのシステムを動かすことはできない」「ここで手を引いたらゴミになる」というこ とは理解していたでしょう。双方の気持ちがわかりますが、これは不幸なマッチングです。 アライアンスを組む際には、相手に対する基本的な知識が必要です。感覚的な言い方に なりますが、互いの分野の4割から6割の情報量を持ち合い、片方ができないことを相手 がやる、というスタンスでなければアライアンスは失敗します。企業同士が共感し、お互 いを必要とするビジョンがなければいけないのです。すぐ始めてすぐ撤退する 先に述べた通り、成熟社会では「儲かるだろうか」という議論は意味を持ちません。顕 在化されているニーズがほぼないに等しく、極端に言えば、いくら予測を立てても当てに ならないのです。本当にその製品にニーズがあるかを研究し、どんなに万全の体制を整え てもマーケットが反応しない場合も多々あります。ビジネスをする上では免まぬかれないことだ とわかってはいても、成長社会の反応と成熟社会の反応では雲うん泥でいの差です。 成熟社会では、何事も始めてみないとわからないと言えます。しかも一回だけではわか りません。一度世の中に出してみて、市場の反応を見ながら調整を繰り返して育てていく 必要があるのです。 大資本があれば一発必中で多額の資金をかけてビジネスを始める方法もありますが、通 常はハイリスクです。いつでも撤退できるように低コストで始められるビジネスモデルに つくり変え、小さくてもビジネスにしながら、テストや改良を重ねてビジネスモデルを磨 き上げていくことが良策です。 一方で、成熟社会でのビジネスモデルには「ビッグバン・ディスラプション」という考 え方もあります。端的に言えば、「一気に始めて、短期的に儲けて、短期で撤退する」というスタイルです。 情報過多の成熟社会では、面白いコンテンツはデジタルで一気に拡散、消費され、長続 きしません。ひとつのビジネスモデルにつき、どんなに売れているものでも賞味期限は7 年から8年といわれています。であるならば、短期的に市場がバーストして一気に冷えた としても、回収さえできればいいという方法も考えられます。 成熟社会では、始めからあまり深く足を突っ込まず、まずはやってみる。やってみて駄 目だったら撤退するという潔いさぎよさも必要ですし、短期間で一気に儲けて即座に撤退という方 法もあります。共通して必要なのは迅速な行動です。確実性を高めようと調査すればする ほど、時間も費用もかかってしまうからです。

ビジネス環境はどんどん変わる

優れたものはすぐに模倣される ビジネスモデルを考える上で、オリジナリティやいままでにないものを目指す方は多い と思います。もちろん、ほかの製品やビジネスとの差別化を考えることは必要ですが、成 熟社会では差別化を図ることは最優先ではありません。 一度流行ったモノやサービスはすぐに拡散され、一瞬にして世界中に情報が流れます。そ してみんながその情報を入手し、優れたものを模倣します。さらにどこが自社のものと違 い、なぜ流行っているのかを研究し、より優れたものを出そうとします。最初に周囲から 抜け出せたとしても、すぐにその差は埋まってしまうのです。 持っている人が持っていない人に渡す。そのギャップがお金や対価になる。これが資本 主義社会の原則です。最初に特許でも取らない限り、どんなに秀逸なビジネスモデルでも真似をされてしまいます。成熟社会ではこれを回避することはできません。 目的や信念をしっかりと持ち、ビジネスコンセプトをしっかりと確立させたビジネスモ デルは追随を許さない場合もありますが、多くの場合、人が出したもの、みんなが良いと 言っているものを追いかけたビジネスモデルは真似されやすく、その差は埋まりやすい。そ してそれがブームになると多くの企業が参入し、発展途上だった市場が一気に飽和します。 そのため、成熟社会では参入障壁の築き方も重要です。 成長社会では、初期費用や固定費の高さが参入障壁となっていました。例えば飲食店を チェーン展開しようと考えれば莫大な費用が必要となります。その分、いったんビジネス を成り立たせることができれば、競合に脅かされることは少なかったわけです。 しかし、成熟社会ではITなどの、初期投資をそれほど必要としない分野が伸びてきて います。そこでの参入障壁の築き方としては、消費者が価値を感じる技術、顧客ロイヤル ティ(顧客が商品やサービスに対して感じる信頼や愛着)を高める接客・サービス、徹底 的に高めた利便性などさまざまありますが、特に有効な方法として、ひとつはブランド価 値を高めることです。 自社のサービスを使ってもらうためには、多くの人に知られる必要があります。そのブランドとしての認知・認識を高めることで参入障壁を築きます。例えば楽天やソフトバンクは球団を購入するなどしてブランド価値を高めています。しかし、周囲に存在を広く知られることは、同時に模倣されやすくなる、狙われやすくなるというリスクもあります。 理想的なのは、特許をはじめとする知的財産の獲得です。私もビジネスモデル特許をいくつか取得していますが、新規事業を行う際には特許が取れるかどうかを必ずチェックしています。どの企業でもすぐに実践できることではないかもしれませんが、ひとつの方法として知っておいていただきたいと思います。 多様化する販売チャネル・流通 ビジネスモデルを構築する際、販売チャネルと流通も、成長社会と成熟社会では大きく異なります。この変化もインターネットが入ってきたことによるもので、スマートフォンが浸透したことによって個人同士のつながりが容易になったことも影響しています。 成長社会の販売チャネルは、個人商店かデパートかといったように、比較的少ない選択 肢から選ばれました。しかし現在ではウェブサイトが加わり、その中にもオンラインショ ップが数限りなく存在します。さらに、同じインターネットでもウェブサイトから買うの か、販売サイト専用アプリから買うのか。こうした変化も販売チャネルの複雑化の要因です。 また流通経路も多様化しました。直売か卸かの二者択一だったものが、全国に散らばる ユーザーに直販することも可能になっています。

販売チャネルや流通が変わると、どうやってモノを調達して集金をするかという、ビジネスモデルの中でも特に重要な、「お金の流れ」が変わってきます。昔の八百屋さんであれ ば直販は対面販売で現金のみ。あってもクレジットカードという二つの経路でした。しか しいまでは、同じ野菜を売るのでも、全国に散らばるユーザーに直販をすれば、代金引換、 銀行振込、カード支払いなど、集金ルートもバリエーション豊かです。QRコード決済の 普及が進めばさらに複雑化するでしょう。 ビジネスモデルを構築する際には、「〝誰に〟〝どうやって〟」という細かい落とし込みが 必要で、その完成具合がビジネスの成否を分けると言っても過言ではありません。流通ルー トひとつ変えるだけでもビジネスモデルの変化です。「ビジネスを変えなくてもビジネスモ デルを変える」とはこういうことなのです。 敵は異分野からやってくる ビジネスにおける競合相手を考えるとき、これまでは同業他社でした。 例えば出版業界。ITが発達するまでの競合他社は、新聞、雑誌、単行本でした。それ がいま、出版の最大の敵はスマートフォンです。電車の中の暇つぶしは印刷物からスマー トフォンの読み物やゲームになっています。時間というリソースの奪い合いという点で出版業界が強かったところに、ITという異分野が入り込み、スマートフォンという、出版 にとっての脅威が現れたのです。 あるいはコーヒーです。昔は喫茶店がスタンダードでしたが、ドトールの進出でテイク アウトできるようになり、スターバックスは「空間を売る」という新たなコンセプトで躍 進しました。さらにオフィスで飲めるコーヒーサーバーもすでに広まっています。マクド ナルドやコンビニエンスストアでも本格コーヒーが安く買えるようになるなど、コーヒー 分野に注力していなかった業界もどんどん入り込んできています。 そうした変化の中、業種の区別も曖昧になってきています。 例えば自動車会社です。これまではエンジンを作っている会社を自動車会社と定義でき ました。数社ある自動車会社が切磋琢磨して、優れたエンジンを作って競争していました。 しかし現在では電気自動車も販売され、人気を集めています。電気自動車を販売するテス ラモーターズはこれまでエンジンを作ったことがありません。ではテスラモーターズはエ ンジンを作っていないから自動車会社ではないのでしょうか。いいえ、そんなことはあり ません。エンジンを作っていなくても、いまやれっきとした自動車会社と言えます。 さて、エンジンを作るとなると、一いつ朝ちよう一いつ夕せきではできません。これが自動車会社にとって の参入障壁でした。しかし、モーターと電池を組み合わせて電気自動車が作れる。その上 自動運転まで入ってくると、エンジンという参入障壁では防ぎきれない時代がやってくるでしょう。 これからはビジネスの分野を明確に分けることが難しく、業種や分野の垣根なく敵がや ってきます。どこから敵がやってくるのか、未知の世界になってきています。逆に言えば、 読者のみなさんも、他分野に殴り込みをかけることができるのです。 テクノロジーをどう使いこなすか 人の能力を超えるテクノロジー 成熟社会はITの台頭により、仕事のスピードが格段に速くなっています。いまではメー ル一本で世界中の人と瞬時に連絡が取れますが、昔は電話しかありませんでした。移動に も時間がかかり、ファックスなどもありません。ワープロやパソコンがなかった時代には 図や字を書くこともすべて手作業です。いまでは信じられないことでしょう。 技術は空間と時間を削減するためにあります。技術の進歩が人の利便性を高めていく一 方で、人の処理速度を追い抜こうとしています。1980年代の株取引では、電話を受け ながらハンドサインでやりとりしていました。人の動きのスピードで株の売買スピードが 決まっていたわけです。しかし現在ではそんな姿は見られません。すべてコンピューター で管理され、人の処理能力を超えたスピードで株が取引されています。昔は駅の改札に人が立っていましたが、現在では自動改札で素早く正確に処理されます。いまの通勤ラッシ ュに駅員がいちいち切符を確認していたら、人が溢れかえってしまうでしょう。 もはや、仕事のボトルネックは技術ではなく人間になっています。人間を介在させない ことが効率化であり、スピードアップの秘訣です。人口が減っていく成熟社会では、テク ノロジーをうまく使いこなせるかどうかでも、企業の明暗が分かれると言えます。 もちろん、すべての作業がロボットや機械に置き換わるということはありません。しか し、徐々に置き換えは進んでいます。RPA(ロボティック・プロセス・オートメーショ ン/主に定型作業のパソコン内での自動化)やIoT(モノのインターネット)を使った 作業の効率化。労働力の減少を見込んで、テクノロジーを駆使していくことが求められて いるのです。 テクノロジーの価値は人件費削減ではない テクノロジーの導入を考えるときに、人件費削減と結び付ける経営者が多いように感じ ます。まるで呪いのように「人件費削減」を唱える人もいますが、成熟社会ではこの考え 方は愚の骨頂です。第5章で詳しく語りますが、コスト削減を唱えることでしか士気を高 められない経営者の下では、部下は希望を持てません。現在、技術の劇的な進化によって、人の仕事がなくなるのではないかという声も多く聞 こえます。不安を持っている人も多いかもしれませんが、テクノロジーの発達は怖くはあ りません。人件費削減のためにテクノロジーへの投資をするのではなく、人のやりたくな い作業をテクノロジーで置き換える。その分、人の育成・教育に力を入れる。人がやって いて楽しい、ワクワクする仕事に人材をシフトすることが、本来のテクノロジー導入の目 的です。いまこそ、その必要があるのです。 この転換が遅れた企業では優秀な人材がどんどん流出し、その仕事が残った人に引き継 がれます。そうして人の補充もないまま疲弊していき、会社は弱体化していきます。 テクノロジーについて基本的な知識を持ち、その技術をうまく活用し、ほかのリソース に上手に切り替えていけば、これからも人間のやりたい仕事は残ります。テクノロジーが 発達すれば、人間がやらなくていいことを機械に代替でき、やりたい仕事だけが残るよう になるのです。その変化によって新しい職種も生まれるでしょう。インターネットの発展 により、ウェブデザイナーやユーチューバーなど、多くの職種が生まれたように。

ビジネスモデルのシフトに必要な思考 

ロジカルシンキングとクリエイティブシンキング 成長社会において何か問題が起こった際の解決法の第一は、問題点を細かく分解し、その要素を一つひとつ検証していくことでした。これは「ロジカルシンキング」と言って、論理的に物事を分解して原因を究明し、因果関係を見つけていく考え方です。ロジカルシンキングは、作る、売るがはっきりしていて、ニーズも明確で正解がわかり やすいビジネスモデルにはとても役立ちます。しかし「複雑系」「混沌系」といわれるような、因果関係が見えない問題には対処できません。誰も困っていない、正解がわからない成熟社会で何を作れば売れるか、といった疑問には答えが出づらくなります。 一方、近年よく聞く「クリエイティブシンキング」は、ゼロからイチを生み出していく手法であり、ロジカルシンキングとは対極にあります。「枠組みにとらわれないアイデアを生み出す自由な発想」のことを指し、新しい発想やイノベーションを起こすためには、この思考法がとても重要になります。ただし、制約条件が強過ぎるとうまく働かないといっ たデメリットもあります。 現在の新人研修などで主流とされているのは、ロジカルシンキングです。クリエイティブシンキングも重要ですが、クリエイティブシンキングではビジネスを生み出すことは難しいとされています。アイデアは出てきても実際にビジネスを組み立てるためには制約条件が多いため、着地できるアイデアがうまく出ないことが多いからです。 ロジカルシンキングとクリエイティブシンキングは、一長一短です。では、中間の思考法はないのでしょうか。 これから必要なのはモジュラーシンキング 中間の思考法の位置付けとして、「モジュラーシンキング」についてご紹介します。 製品の基本的な設計思想を「アーキテクチャ」と呼びますが、モノ作りにおいて日本はインテグラル(すり合わせ)型のアーキテクチャが得意で、海外はモジュラー(組み合わせ)型が得意です。 この違いはレゴブロックをイメージしてもらうとわかりやすいと思います。例えば、さまざまな形のパーツで組み上げられたブロックの車があるとします。インテグラル型はこの車をロジカルシンキングで分解し、一つひとつのブロックを分析して、最適なブロックを新しく作り、互いのすり合わせをしながら統合していきます。最適な部品を作り、調整 しながら組み立てるのです。このような改良改善が日本のモノ作りの真骨頂となります。 モジュラー型は、ブロックの車を分解して、バラバラになったブロックを別の用途に使ったり、別の組み合わせ方をしたりして、飛行機やロケットを作り出すというやり方です。 ここでは改良改善ではなく、すでにある部品を使って何ができるのか、何を生み出せるのかといったコンセプトメイキングが重要になります。例として、液晶テレビやパソコンはすでにある部品の組み合わせで、パズルのように調整なしに組み立てていきます。どこで違いが出るか、差別化するのかというと、コンセプトによって差別化します。 これからは、このモジュラー型、名付けるなら〝モジュラーシンキング〟が必要です。クリエイティブシンキングは、全く何もない状態から始まりますが、モジュラーシンキングは、いまあるもの(ビジネス)を分解し、再構築し、何か違う新しいものを作り出せないかを考えるのです。いまあるビジネスを、ロジカルシンキングで分解して分析しても改良 改善はできますが、新しいものは生まれません。駄目なところを直しても元のビジネスから変化はしないのです。富士フイルムは、フィルム作成時の技術を分解した中から、コラーゲンの酸化防止技術というブロックを使って化粧品を作り出しました。 自分のビジネスモデルをもう一度イチから見直して、構築しているパーツに細かく分解してみる。そして、細かいパーツの中で独自のパーツを見つけて、改めてほかのビジネスモデルを展開したり、作り上げたりできないかというアイデアを考える。そうしたモジュラーシンキングが、新しいビジネスやイノベーションをつくる基盤となるのです。

 

第4章 マーケティングの常識が変わる 

マーケティングの本質とは セールスとマーケティングは違う 私は仕事柄、多くの経営者とお話をさせていただく機会がありますが、「マーケティン グ」と「セールス」の違いを明確に説明できる人は少ないように感じます。「マーケティン グは戦略的でセールスは戦術的」というように、雰囲気で区別している人が多くいます。成 熟社会においては特に、マーケティングとセールスとの違いを意識する必要があります。 まず、セールスとはその名の通り、製品を売り込むことです。対面する相手の心理を把 握し、購入する方向にどう進めていくかです。マーケティングは要素と範囲が幅広く、リ サーチ、プロモーションなどが一般的によく知られています。 次ページの概念図を見ると、前章で述べた「ビジネス」「ビジネスコンセプト」「ビジネ スモデル」が絡んでいることがわかると思います。そのため、本来ビジネスの4要素のひとつであるマーケティングについて、ビジネスづくりまで巻き込んで話す人もいます。そ れくらい境界線が曖昧になってきているのです。ここではマーケティングとビジネス、ビ ジネスコンセプト、ビジネスモデルは分けて考えます。 マーケティングの概念が浸透し始めたのは、ITが本格的に普及してからです。それま で手書きで管理されていた顧客台帳が、パソコンで整理されるようになり、「見込み客」「リ ピーター」「ファン」といったように、情報を階層別に細かく分けられるようになりました。 また、自分の顧客のセグメントはどういうところにいるのかといったリサーチもやりやす くなりました。 リサーチとマーケティングをイコールにする人も多いですが、リサーチはマーケティン グのごく一部でしかありません。また広告、広報、プロモーション、ウェブサイトの構築 も、それ自体はツールであり、マーケティングそのものではありません。 マーケティングの目的はセールスをなくすこと マーケティングの本質は〝「勝手に売れる仕組み」をつくること〟、つまりセールスをな くすことです。 成長社会では、いかに目の前の人に売るか、またはどれだけセールスマンをたくさん抱えて売るか、ということが重要視されていました。人口は増えていますし、買い物と言え ば百貨店、商店街、スーパーなどの実店舗が主流でした。お店があればそれなりに人が入 り、その人たちに向けて製品を売る時代でした。 いまは人口が減っている上に、インターネットショッピングも便利になりました。注文 した翌日に商品が届くのが当たり前で、外へ買い物に出かけることも減っています。その ような状況下であれば、いくらお店があってもお客さんは少なく、さらに目の前を通った 人がお店に入ってくれる確率も、そこで購入してくれる確率も確実に減ります。つまり、た だ売ろうとするアプローチだけでは売れないのです。 顧客を惹き付け、お店に促し、売り込まなくても勝手に売れる仕組みをつくる。それが マーケティングの本質です。そのためにはビジネスコンセプトが大事です。しっかりとし たビジネスコンセプトがあり、消費者の共感を得ることができれば、独自のブランディン グが成り立ちます。消費者は自社にとっての顧客、ファンとなり、商品やサービスが変わ ったとしてもつながり続けます。 そのビジネスコンセプトを、店舗であれば、装飾や製品の配置、POPなどで顧客に伝 える必要があります。ウェブであればデザインやコピー、レター、動画などです。ビジネ スモデルにも重なる部分ですが、ウェブでは顧客と対面でお金をやりとりするわけではな いので、セルフで決済できるクレジットカードや各種支払い方法の完備、自動的に配送される仕組みなどもマーケティングに含まれます。 多くの日本企業には、「セールス&マーケティング部」が存在します。マーケティングの 本質はセールスをなくすことと述べたように、本来セールスとマーケティングの相性は良 くありません。マーケティングは顧客と対面しない長距離の仕掛けの担当、セールスはそ の仕組みから溢れた接客部分の担当になります。セールス&マーケティング部を好意的に 捉えるなら、日本ならではの協調性を生かし、売れる環境をつくってしっかり売る部署だ と言えます。 成熟社会では、人口減少のためにセールスの確保がしづらいという問題もあります。人 をたくさん雇うコストに見合うだけのメリットがあるのかどうかが重要になります。その 点で、「勝手に売れる仕組み」をつくるマーケティングが重要視されているのです。 さらに、ニーズがわからない成熟社会で、顧客の潜在的なニーズを把握することができ れば、先程の概念図の①~③が強まります。つまりビジネスを生み出すことができるよう になり、製品開発にも波及させることができます。売れるものを作り、さらに売れるビジ ネスを構築するという好循環が出来上がるのです。 マーケティングの変遷 マーケティング1・0~2・0 アメリカ合衆国の経営学者であり、マーケティング論の第一人者であるフィリップ・コ トラーは、「マーケティング4・0」という概念を提唱しました。この概念はマーケティン グ1・0から始まり、2・0、3・0、4・0へと時代と共に変化するマーケティングの指標 のことです。表にまとめると次ページのようになります。 マーケティング1・0は日本では1950年くらいから始まったと考えられます。マーケ ティング1・0とは製品性能、コストパフォーマンスで勝負をすることであり、車に例えて 言えば、「何馬力か」「最高速度は何キロか」などといったことになります。良い暮らしを したい、良いものを買いたいという顧客の「良い」という定義(ニーズ)がある程度同じであるため、それを提供する売り手が主導の時代になります。 マーケティング2・0は1970年代に始まったと考えられます。買い手主導になり性能 やスペックの良さだけでなく、乗り心地に重点を置く人、速く走りたい人、というように、 製品性能に加え、それぞれ個別のニーズがプラスされます。車に乗っていて気持ち良い、嬉 しい、というような感情的な価値が製品価値に付加されるのです。 このマーケティング2・0でいちばん重要なのは「差別化」です。車を使って速く走りた いのか、気持ち良く走りたいのか、個々の願望を分け、それに応える製品を作り出してい くため、製品バリエーションが多くなっていきます。 マーケティング3・0 マーケティング3・0は2000年くらいから始まったと考えられます。この時代から成 熟社会の始まりです。個別化・多様化が進んでいき、顧客が自分の好みでカスタマイズを していきます。例えば携帯のストラップやカバーです。星の数ほど種類が増えていきました。 企業は一人ひとり個別に商品を作ることはできないため、顧客と一緒に共創していくこ とを考えます。そこで「コミュニティ」という概念が入ってきます。例えば、AKB48はファンと一緒にグループをつくっていく「共創の価値」を重視しました。いろいろなコミュニティを使って、人や製品やサービスの価値を一緒につくり上げていく。つまり完成品 を売るわけではなく、一緒に完成させていくことが大事なことと捉えているのです。ほか の例で言えば、食べログやクックパッドなども同様です。 企業側は、自社だけではなくコミュニティやサードパーティなどの全体的な生態系(エ コシステム)をつくっていき、コミュニティで人を取り込み、顧客も一緒に取り込めばニー ズも得やすいと考えました。例えば、iPhone をApple で購入してから、LINEやフェ イスブックといったアプリを入れて価値を高めていくことなどです。 顧客はコミュニティに所属することで、所属欲求を満たしたり、安心感を得たり、精神 的充足感を満たしたりすることができます。一方、企業側は顧客に選ばれファンになって もらう必要があります。そのために重要なのが「ブランド」です。マーケティング3・0は ブランドを高め、コミュニティを形成することでビジネスを育てていくのです。 マーケティング4・0 2015年くらいからマーケティング4・0、「自己実現のマーケティング」の時代にな りました。 技術が格段に発達し、基本的に製品性能で差別化は図れません。個別化、多様性もどん どん進んでいき、顧客をカテゴリー分けすることができません。マーケティング3・0では、 つくったコミュニティ内のファンであればひと括りと扱えますが、個別化と多様化が進む と、さらに一人ひとりにとって微妙に違いが出ます。 マーケティング4・0では「個々が求めているものにどうジャストフィットさせていく か」が鍵となります。当然これまでにもオーダーメイド型の商品やサービスはありました が、製品価値、感情価値、精神価値に加えて、自己実現の価値に重きが置かれます。 ここでは「いかに自分を幸せにするか」という基準でモノやサービスが選ばれます。 わかりやすい例は美容院です。お気に入りの美容師さんは、何も言わなくても自分に合 う髪型を提案してくれます。毎回同じ髪型ではなく、季節感に合わせて変化させてくれる など、自分の理想通り、自己実現の希望を叶えてくれる、完全にオーダーメイドの世界で す。顧客はどんな髪型がいいか、答えを持っていません。例えば「軽い仕上がり」といっ た漠然としたニーズを伝えるだけで、美容師がどう実現するかを考え形にしていきます。 美容師がお店を辞めて独立した場合、顧客は美容院と美容師のどちらを選ぶでしょうか。 以前の美容院も、独立した美容師の美容院も、値段や自宅からの距離はほぼ変わらない。そ のような条件であれば、独立した美容師のお店に行く人が多数でしょう。顧客ロイヤルテ ィは、自己実現をしてくれる美容師さんに付くことになります。 残念ながら現時点では失敗しましたが、ZOZOスーツは完全なオーダーメイドでスーツを作ってくれる画期的なものでした、これはまさしくマーケティング4・0の考え方です

 

自分のビジネスに合ったマーケティングを

すでにスーツや枕などはオーダーメイドが一般的になりましたが、このように身の回り のいろいろなものがオーダーメイドになる可能性が高いでしょう。自己実現をどうやって 叶えていくか、その願いをさまざまな形でサポートしていく製品やサービスが増えると予 測できます。 ただ、この自己実現をしてくれる製品・サービスが選ばれるのは、顧客がビジョンを持 っている場合に限ります。ビジョンがある人は、意欲的に自らの自己実現をしてくれる企 業を選びますが、ビジョンを持っていない人は感情的・精神的な充足、つまりマーケティ ング1・0から3・0で満足します。 どのマーケティングが適しているかは職種や業種によっても異なります。例えば鉄鋼業 やインフラ系は製品性能が重要です。感情や精神的な充足を考える必要はなく、マーケテ ィング1・0で事足ります。逆にBtoC(一般消費者向け)のサービスビジネスは、すぐ にマーケティング4・0に移行しなくてはならないでしょう。 マーケティングは変遷し、考え方は時代によりアップデートされていますが、ターゲッ トや業種、職種によって、取り入れ方を考えるべきです。最新の考え方を安易に用いるの ではなく、適したマーケティング方法を探るのがベストなのです。 マーケティングの変遷と顧客の関係性 マーケティングが1・0から4・0へと移るにつれて、企業と顧客の関係性も変わります。 関係性が変わる主な原因は、インターネット上の技術発達とコストの問題です。かつて一 人ひとりに郵便を送るのはとても大変なことでしたが、現在ではメールやメッセージなど で簡単に送れます。あるいは動画配信と言えば昔はテレビCMしかありませんでしたが、い まはSNSで簡単に動画配信できる時代になっています。そうした背景から、企業と顧客 の関係性もおのずと変わってくることになります。 マーケティング1・0はマス・コミュニケーションで企業が多数の顧客に発信をします。 そのため企業と顧客の間では、製品に関するコンセプトが一致しています。車で言えば、 「良い車とはこういうものだ」というコンセプトです。ひとつの企業の発信が多数の顧客を つなげることになります。企業と顧客は「1対多数」という関係性です。 マーケティング2・0は企業がカテゴリーごとの顧客のそれぞれに発信してつながっていきます。差別化がポイントなので、あなたのニーズを叶えますという「1対1」の関係 性になっていきます。 マーケティング3・0ではコミュニティがつくられ、顧客側は多数になります。そして企 業側もサードパーティなど複数の企業連合になります。つまり「多数対多数」の協働で共 創して価値をつくり出していきます。 マーケティング4・0では顧客側は個人の自己実現になります。ひとつの企業がそれぞれ の自己実現をフルサポートはできません。そのため、複数の企業がひとりの顧客に発信し て関係性を築いていき、複数の企業でひとりの自己実現をサポートすることになります。 「多数対1」の関係性になります。 このようにマーケティングの変遷と共に企業と顧客の関係性は変わっていきます。マー ケティング3・0、4・0になると企業側は多数側になるため、アライアンスが必要となり ます。アライアンスには時間がかかりますので、タイミングを逃さないように自社のマー ケティングの変遷に注意が必要です。 共感という磁力で顧客を惹き付ける マーケットサイズは測れない 成長社会の新規事業の主なフローとしては、まず始めにアイデアが出て、それをビジネ スとして成立させ、ビジネスモデルをつくり上げます。そのビジネスモデルに対し、費用 や売れ行きの予測を立てるときに、マーケットサイズを測ります。 マーケットサイズは、市場に自社がターゲットにしている顧客がどれくらいいるか、そ の人たちに平均単価で買ってもらったとして、どれくらい儲かる余地があるかという予測 を立てるものです。一般的には、人数と平均単価の掛け算でサイズを測り、そのうち何パー セントが自社で取れるかを計算します。その結果を元に、ビジネスとして成り立つかどう かも検討していきます。 そうしてどの程度商品が売れ、費用がかかるのかを差し引きし、利益を換算します。さらにその製品が今後何年に渡り右肩上がりに成長していくか、というプランを立て、事業 計画書を作る。この流れで上司が承認すれば、新規ビジネスが始まります。 ところが、人口増加でマーケットサイズが勝手に伸びていく成長社会と違い、成熟社会 では右肩上がりの事業計画書はなかなか作れません。保守的な会社が従来のやり方を続け ていれば、新しい事業の計画書を承諾することは難しいでしょう。どんなに良いアイデア だったとしても、新規の事業が立ち上がる前に止まってしまいます。 結果、既存のビジネスの延長上で大資本と競合ひしめくレッドオーシャンに飛び込むこ とになります。あるいは成熟社会の変化についていけず、マーケットサイズが測れないこ とに拒絶反応を示し、躊ちゆう躇ちよして何もできないことでしょう。 テストマーケティングを怠おこたらない 購買意欲が減退している社会ではニーズが埋もれてしまっています。目の前に商品や サービスが置かれてみないと、どのくらいの人数が共感してくれるかわかりません。 「鶏が先か卵が先か」のような話になってしまいますが、マーケットサイズは測れなくて も、ビジネスを一度トライ、つまりテストマーケティングをしてみることが重要です。第 3章で軸足がしっかりしているうちに、新しいビジネスモデルを展開することが大事だと 述べましたが、マーケティングの意味でも重要です。大きな市場でなくても、ある程度の ビジネスとして横ばいでも回るならチャレンジすべきです。持続的に技術を都度更新し、発 達できればよしとします。いままでの基幹事業を持ちつつ、きちんと回せるビジネスを増 やすことで、さらにアライアンス先も増えて可能性が広がります。 もちろん、新しいビジネスが必ずしもうまくいくとは限りません。だからこそすぐに撤 退できる形でのテストマーケティングが大事です。基幹事業で得た資金を次のビジネスに 投資していくのです。 テストマーケティングに失敗したらお金がもったいないという声も聞きますが、社員の 教育資金と考えましょう。ビジネスを通して社員に経験値を増やしていくことになります。 教育ですから、うまくいったときは評価しますが、うまくいかなかったときは結果を評価 に絡めてはいけません。 人は美しい花が咲くだろうと期待して種を蒔きます。しかし早く花が見たい、花を咲か せてくれと願っているだけでは植物は成長しません。水をやり、日光に当て、肥料を足し、 常に手をかけなければ枯れてしまいます。そのプロセスを怠ったら、どのような花が咲く かを見ることは叶いません。種の袋の写真通りなのか、もっと綺麗なのか。期待以上の花 が咲くだろうというビジョン、気概や期待を持ち、手入れをしながらビジネスを育ててい くことが、成熟社会のビジネスの在り方なのです 砂場の砂鉄を集める方法 マーケットサイズがわからないからビジネスができない、答えがないから考えないとい う上司では、成熟社会のビジネスはできません。そんな上司への説明でよくお話しする例 があります。 幼い頃、磁石で砂鉄を集めて遊んだことがあるのではないでしょうか。では、公園の砂 場に含まれている砂鉄の量を、砂場に手を触れることなく見積もることはできるでしょ うか。 成熟社会でマーケットサイズを測る、というのは砂場の砂鉄の量を測ることと同義です。 砂鉄を集めるためにどうするか。砂場からひと粒ずつ集めるという人はなかなかいない でしょう。大多数の人は磁石を砂場に入れ、磁石を大きく動かして砂鉄をくっ付かせて集 めるはずです。 ここでいう、磁石がビジネスコンセプトであり、磁力は共感、砂鉄は顧客、すなわちビ ジネスコンセプトに共感してくれた人となります。さらに、一度磁石を入れて取れた砂鉄だけで、この砂場の砂鉄をすべて取ったと言い切 れるでしょうか。より強い磁石(ビジネスコンセプト)を使えば、もっと砂鉄(顧客)が 取れるかもしれません。砂鉄(顧客)が取れる量は磁力(共感)で決まります。顧客を捕 まえるためには磁力と発信力が決め手になるのです。 こうした考え方が具現化された好例が、クラウドファンディングです。このシステムで は、まだ販売されていない製品やこれから行うプロジェクトを公開します。そのコンセプ トに賛同した人たちから広くお金を集め、作り終わったら賛同した人に渡すというプラッ トフォームです。先行販売に近く、顧客が先にお金を払っています。 成長社会では、物を先に作ってからいかに売るか、または売れるものは何かを見つけて からものを作る手法が主でしたが、これからは共感の獲得が最初になければいけません。共 感という磁力でくっ付く顧客を先に見つける。それも成熟社会のマーケティングに必要な 要素です。

 

ターゲットをどのように設定するか 

一度つかまえた顧客は手放さない 最近よく耳にするマーケティング用語に「LTV」があります。「Life Time Value」の 略で、「顧客生涯価値」と訳されます。ひとりもしくは一社の顧客が、商品やブランドの顧 客となってから終わりまでの期間(顧客ライフサイクル)に、どれだけの利益をもたらす のかという意味です。 LTVを伸ばすためには、顧客である期間を伸ばすことと、期間中の利益を高める必要 があります。わかりやすいところであれば、自社が 10代から20代の若者にターゲットを絞り、その世代に向けた商品やサービスを展開、提供している場合、若者が年を重ねると顧客離れが起きてしまいます。特に雑誌やアパレル業界は「F1層(20〜34歳の女性)」「F 2層(35〜49歳の女性)」などと分けて顧客層を決めていますが、年齢を限定してしまうと、利益を得ることのできる期間も限られます。 成長社会では一定の年齢層のボリュームはあまり変わらない、もしくは増えていく時代 なので、それでも構いませんでした。しかし、成熟社会になって人口が減ると、期間や年 齢で顧客層を決めるのは危険です。顧客と共に企業も成長していく、もしくは顧客の成長 に合わせて自己実現のお手伝いをしていき、ファンを続けてもらう。そして勝手に売れて いく仕組みをつくるというマーケティングの基本に立ち返ることが必要です。 好例はリクルートです。ライフタイムに合わせた媒体を作り、うまく循環しています。結 婚するときには『ゼクシィ』、妊娠・出産では『ゼクシィBaby』、進学は『リクナビ進学』、 バイト探しは『インディード』、就職は『リクナビ』、引っ越しの際には『スーモ』、髪を切 るときには『ホットペッパービューティ』、旅行は『じゃらん』と、あらゆるジャンルと年 齢層をカバーしています。 成熟社会では、LTVが期間や年齢で限定されることは大変危険です。いったん顧客と なった一人ひとりが自社を卒業しないよう、年齢に応じて商品・サービスを揃えておくの が望ましく、顧客の成長と共にキャッチアップしていく必要性があります。 人口が減っていく中では、新規顧客を探すのは難しいため、ひとり捕まえたらその顧客 の心が離れないようにする。それが成熟社会のビジネスの考え方と言えます。私がセミナー でよく伝えているのは、「一度掴んだ顧客は骨の髄までしゃぶれ!」です。言い方は強烈で すが、成熟社会のビジネスには必須のフレーズになるでしょう。ターゲットを決めるためにペルソナを使う 従来、マーケティングでは「顧客セグメント」や「ペルソナ」、「ターゲット」といった 概念が重要視されていました。ここまでの話を総合すると、これらは考えても無意味なの ではないかと思う方も多いかもしれません。しかし、もちろんきちんと生かすことができ ます。 製品やサービスに共感が得られる人は誰か、と考えるためには人の潜在的な無意識の行 動の周期性を見ないとわからないと前述しました。しかし全国に散らばる1億人以上の日 本人をウォッチすることはできません。そのため、「セグメント」と「ペルソナ」、「ターゲ ット」を設定し、どの人の無意識の行動を観察し、イノベーションを見つけて共感しても らい、どう展開していくかを考えていきます。 これらの中で、成長社会と成熟社会とで最も大きく異なるのがペルソナです。成長社会 では、理想像とする「架空の顧客」をペルソナとしてイメージし、そのペルソナの心や意 識にどうやったら刺さるかと考えながらマーケティングを仕掛けていました。そのペルソ ナに沿ったプロモーション、広告やキャッチコピーが選ばれていたのです。成熟社会では、無意識の行動の周期性を見るということと、共感が得られるかどうかを 確認する意味でも、実在する人物をターゲットとしなければいけません。そのターゲットの範囲を決定するのに、ペルソナを使用します。製品やサービスに共感し、購入してくれるか反応を調べるためには、ターゲットの観察が不可欠です。ターゲットを選ぶためにペルソナの範囲を決めるのです。 例えば賃貸アパートを探している人は、不動産屋さんにある程度の条件を伝えます。駅が近く、5年以内の築浅で、コンビニエンスストアが徒歩圏内にあり……といった条件。これがペルソナになります。それを元に、不動産屋さんは実際の物件を紹介してくれる。これがターゲットです。成熟社会のペルソナはあくまで条件の範囲であり、その条件を満たしたものがターゲット、という図式になります。 成熟社会でのセールスの方向性 マーケティングの目的はセールスをなくすことだと述べましたが、完全にセールスをなくすことは難しいのが現実です。実際にはマーケティングとセールスはあくまで協調していく必要があります。そのため成長社会のセールスと、成熟社会のセールスでは役割も機能も違ってきます。 まずどちらの社会でも、セールスの形は「御用聞き」と「ソリューションベンダー」の二つに大きく分かれます。御用聞きは顧客の求めるもの、主にウォンツを取り扱い用意します。ソリューションベンダーはニーズを扱い、顧客の課題を解決します。優れたセールスはすでにこの二つを兼ね備えていると思いますが、成熟社会になると変化します。 成長社会ではニーズもウォンツも顕在化しています。そのため顧客を訪問し要望を聞いて用意すれば御用聞きになれますし、顧客のニーズを聞いて解決策を提案すればソリューションベンダーになれたわけです。しかし、成熟社会ではニーズもウォンツも潜在化しています。顧客に聞いてもわからないのです。そのため成熟社会では、観察、共 感を通して無意識の困り事を見つけて用意するのが御用聞きとなり、顧客のビジョンを理解した上で会社の成長する方向性を見据えて先回りし提案するのが、ソリューションベンダーとなります。 マーケティングの目的はセールスをなくすことだと述べました。しかしながら、セールスは顧客の観察、共感にいちばん近い所にいます。因果なものですが、マーケティングが重要視される成熟社会だからこそ、勝手に儲かる仕組みをつくるためにセールスの力が必要となるのです。自社のマーケティングに何が必要か見定めて、セールスに動いてもらいましょう。

 

いかにしてマインドシェアを獲得するか 人は知らないものを買わない LTVと同じく、成熟社会のマーケティングのとても重要な要素に「マインドシェア」 があります。人の頭の中の情報や記憶が、どれだけの割り合いで占められているか。そのランキングと考えるとわかりやすいと思います。ここで実際にマインドシェアについて考えてみましょう。 頭痛になったら飲む薬と言えば何か?こうしてパッと質問をされたとき、最初に思い出される商品やサービス、メーカー、お店が、あなたにとってマインドシェアナンバーワンのものです。ある人は「バファリン」 であり、「イブ」や「セデス」、「ロキソニン」という方もいるかもしれません。ほかにも「牛丼屋と言えば」「コーヒーを飲む場所と言えば」と、ありとあらゆるジャンルの設問が浮かびます。 人はマインドシェアに従って製品を購入します。これがビジネスを考える上ではとても厄介なことです。正確に言えば、マインドシェアにないものを買うのは、よほどその商品に興味を持った場合だけです。例えば何十種類もの缶コーヒーがある中で、何を基準に選んでいるのか。第1章で水を例に述べたのと同様に、全部を試したという人は少ないと思います。いくつか飲んだ缶コーヒーの中でいちばんおいしいと思ったものを買っているでしょう。しかしもし、ラベルのない缶コーヒーが並んでいたらお気に入りを見つけることができるでしょうか。優れたソムリエのように嗅覚や味覚が敏感な人でなければ、難しいと思います。 それは、おいしかったという記憶が単純にコーヒーの味だけによるものではないからです。ラベルやデザインなどの外観、パッケージと一緒に記憶されて、おいしいと認識されているのです。 人は五感を通して感情を味わい、記憶に残します。コーヒーそのものがおいしかった感動とラベルやデザインが頭の中で一致したときに、マインドシェアとして格納されます。そ して、その商品を何度も飲むことで、マインドシェアはより高まっていきます。 これをマーケティングの概念から考えると、企業はいかにして人の記憶のマインドシェ アを取っていくかが重要だとわかるのではないでしょうか。 たくさんの情報を発信しても覚えてもらえない マインドシェア獲得のためには、「自分の会社を顧客にどのように覚えてほしいか?」と いうことが重要になります。前章で述べたビジネスコンセプトがこれに当たります。 成長社会では、たくさんの情報を刷り込み、いつも人目に付くようにすればマインドシ ェアが取れると考えられていました。このやり方は現在でも有効ですが、第1章でお話し したように、現在は情報過多によって、人は情報を手に入れないようにあらかじめ防御し ています。そのため、これまでのマーケティングやプロモーションでは届かなくなってい ます。 マーケティングを優位に運ぶためには、心理的安全性が高い状態で、どのように人の頭 の中に記憶されるかが大事です。手っ取り早いのは友人や知人との会話です。例えば体が 疲れていてマッサージに行きたいときは、新しいマッサージ店へ行くことの心理的ハード ルが低くなっています。そのときに友人から「おすすめのマッサージ店があるよ」と紹介 されることで迷わずに行くということは多いでしょう。このように、マインドシェアは信 用できる人間との会話で塗り替わっていきます。 人間同士の情報はシェアされていきます。どうやって周りの人に展開し、共有してもら うか。これもブランディングの戦略、またマインドシェアの獲得として重要なポイントと なるのです。

 

ブランディングで外堀を埋める 

満足度がLTVやマインドシェアを高める 本章全体のポイントとなるのが「企業ブランディング」です。顧客にどう覚えられてい るのか、どう知られているのかです。 「ブランド」を勘違いしている人が多いのですが、プロダクト、ロゴ、デザイン、キャッ チコピー、ホームページ、広告。これらは、いずれもブランドではありません。 顧客に知られている、理解されている、聞いたことがある状態をどうつくるか。こうし た環境づくりそのものをブランディングと言い、顧客のマインドシェアの獲得やLTVの 向上をブランドと言います。 LTVが高ければ高いほど、自社の製品群やサービス群の一生涯のファンでいてくれま す。マインドシェアが高ければ、他社が新製品を出しても、自社の製品やサービスが選ば れます。ブランディングを考える際、ここに「満足度」という指標が絡んできます。満足 度が高くないと、LTVとマインドシェアが高まりません。成熟社会の製品やサービスは どんどん高品質になっており、満足度は際限なく上がっています。驚き、感動、といった ような感情を動かし、記憶に残していく必要があります。 マーケティングは勝手に売れる仕組みをつくることと述べましたが、ブランディングは 勝手に売れるために、あらゆる方面から知られている、聞いたことがあるといった状態に するための外堀を埋めていくことです。 「これをやればうまくいく」という答えはありません。とてもキャッチーで、強烈に人々 の印象に残るような製品がマインドシェアを一気に塗り替えるということもありますが、 ごく一部です。 丁寧に外堀を埋めて、地道に信用を積み重ねていく。これこそがブランディングの近道 と言えます。江戸時代の商売と同じです。老舗の企業は、こうした外堀を埋め、長年の努 力でしっかり信頼を積み重ねたからこそ、ブランドバリューがあるのです。 大資本を投下してあらゆる情報を自社で塗り替えない限り、一朝一夕でブランド価値を 上げるということは、どんな技術をもってしても難しい戦略です。時代は変わっても、人 の感情は昔から変わっていません。成熟社会では特に、ブランディングには地道な努力を 重ねていくことこそが必要となります。中小企業の広告・PR戦術 ブランディングになくてはならないのが、広告やPRです。 これらを発信するメディア、チャネルも以前とは比べられないくらいに多様化し、さま ざまなところから情報が入ってきます。しかし広告効果が徐々に下がっていることは、媒 体の値段が下がっていることからもわかるのではないでしょうか。そのためインパクトや 驚きなど、情報防御を一瞬で崩すような大味のプロモーションが増えています。 こうした強烈な広告やPRもありますが、この手法は膨大なお金を注力できる大企業な どに限られます。一般的な企業に必要なのは、ターゲットが何に共感するのかを深く追求 し、観察することです。身近な人、身の回りの人が共感できるよう、実在の人物に注力す ることがベースとなります。 お金をかけずに共感が得られるものとして、前章で述べた〝やわらかいイノベーション〟 がとても有効です。共感も得られ説明もしやすい。周りの人の目にも触れて試すことも可 能。こういった商品・サービスを作ることができれば、広告やPRの費用はずっと下げる ことができます。 私はよく、「マーケティングに魔法の杖はない」とお伝えしています。キャッチコピーを 書けば売れる、というのは一過性のブームに過ぎません。「これだけ」をやっていけばうま くいくという方法はない。あらゆる方面から、外堀を固めていくことが重要です。 万人に受ける製品はこの世の中に存在しないのです。身近な人のLTVやマインドシェ アを地道に高めていくことを重視しましょう。できたものを売るのではなく、マーケティ ング(売る仕組み)を前提に商品やサービスを作る。特に共感を得るためのビジネスコン セプトが重要になるのです。

 

第五章 企業・顧客・社員の新しい関係性 

企業が大事にすべきは顧客より社員 成長社会では社員より顧客が重要視されていた 成長社会において、企業は社員に対していわゆる「三種の神器」、年功序列、終身雇用、 組合を渡していました。その代わり、社員には忠誠心を求める。この関係性がうまくいっ ていたのは、社員にとって良い暮らしをすることが幸せであり、そのためにはお金が必要 で、安定したサラリーをもらえる会社にいたいという願いがあったからです。年を重ねる ほど給料は上がりますし、よほどのことがない限り雇用は確保されます。生活は安定し、住 宅ローンを組むなど、先々の予定を立てられる。これでwin-win の関係が成り立っていた わけです。 企業は社員に規則やマニュアルを渡して、社員は顧客にそのマニュアルに沿った対応を します。現在ではマニュアル対応と言えばマイナスのイメージが強いですが、成長社会で は、誰にでも同じ、決められた対応で顧客は満足していたという側面があります。前章で 述べたように製品は性能で売れていた時代です。社員は顧客へ詳しく製品説明をできれば それでよかったのです。また、人口が増えているために、企業はある程度顧客を選べます。 わがままな顧客に対してはすぐに見切りを付けることができました。加えて顧客の価値観 が似通っていました。そのためマニュアル的対応で事足りていたわけです。 信頼感や顧客ロイヤルティは企業に付随していました。何かクレームがあった際には、実 際に対応をした社員ではなく、会社が責められるという図式が成り立っていました。 こうした関係性から、成長社会では企業は社員の意見や動向より、顧客を重要視してい たのです。 ビジネスを行うのは人間 顧客、企業、社員の関係性は、成熟社会に入り大きく変化しました。 人口減少、労働力不足、市場縮小などによって、年功序列や終身雇用は崩れています。価 値観の多様化やビジョンの個別化から、組合に所属しない人も増えています。 社員はお金を欲しいけれど、お金のためだけに仕事をするわけではありません。やりが いや自己達成も報酬の一部です。終身雇用が崩れてしまった企業では、社員の退職が頻発します。やりたくない仕事はやりませんし、もしやりたくない仕事をやらされ続ければす ぐに辞めます。 そのため、企業は社員が長く働いてくれる環境をいかにつくるかを重視し、社員を大切 にしなければなりません。有能な社員を確保するためには、金銭面だけでなく精神面の報 酬が必要になります。社員のパフォーマンスを上げるには経済的豊かさを担保しながら、明 るくイキイキと働ける環境と心身の豊かさを提供しなければならないのです。幸福感や愛 情、会社に対する信頼、働きたいという感情を持ってもらう。そのために、企業側が社員 に提供しなければならないものは成長社会よりも多く、かつ複雑化しています。 社員が確保できないのなら、すべてオートメーション化すればいいと考える経営者もい ます。その投資が現在のビジネスモデルの寿命に見合うなら可能ですが、ひとつのビジネ スモデルの寿命は短くなってきています。投資回収ができる前にビジネスモデルが行き詰 まることも考えられます。 それに社員がいなくなってしまえば、分散投資に当たるビジネスへのチャレンジや、新 しい価値を生み出すことはできません。成熟社会では、企業を成長させる社員が必要です。 いつの世にもビジネスを行うのは人間なのです。顧客ロイヤルティは社員につながる ビジネスマナー研修や百貨店の接客に代表されるように、成長社会の顧客への対応は画 一的で生真面目なものでした。成熟社会では顧客の価値観が多様化するため、それだけで は対応し切れず、個別のアクションが必要になります。 情報が飛び交う中、顧客はあらかじめさまざまな企業をネットで比較し、その中から吟 味してやってきます。建前だけで繕っている企業の嘘はすぐに見抜かれます。社員は、顧 客が「神様の目」を持っているものとして対応しなければなりません。おかしな対応をし てしまえば、すぐにネットの掲示板に晒さらされ、SNSで一気に情報を拡散される世の中です。 会社に信頼を置き、幸せを感じている社員は、顧客にも心地良い対応ができます。そう すると、顧客ロイヤルティは会社ではなく社員個人につながります。顧客の企業に対する 信頼感も上がり、ファンが増えていきます。その感動や共感がネットで拡散され、多くの 人に知られる可能性も高くなります。つまり、企業に共感を持ち、やりがいを持って働く 社員は、企業の広告塔になり得るのです。 社員に顧客ロイヤルティがつながることで、企業にとってより大事なのは、顧客ではな く社員になります。また成熟社会のマーケティングは顧客を巻き込んだコミュニティの形 成や、顧客の自己実現のサポートになります。そのためにも幸せな対応ができる社員が必 要不可欠です。企業は顧客よりも社員を優先することで、社員が幸せを感じ、巡って顧客 を大事にしていることになります。企業と社員の関係性がビジネスの結果に直結する時代 になったのです。 社員が企業価値を高める 労働人口が減少する中、企業にとって求人、採用の重要度はますます高くなってきてい ます。その点でも、いまいる社員が力になってくれます。 「自分の会社」という主体性があり、かつ自分が会社に大事にされていると思える社員は、 次の社員となる人を連れてきてくれます。「リファーラルリクルーティング」と呼ばれる採 用方法で、採用コストがかかりません。 いまいる社員は、次の社員となる人の人となりや仕事ぶりを知っていて、企業側の適切 なニーズに合うと思うから連れてきてくれるわけです。そのため育成コストが少なく即戦 力になるというメリットもあります。社員が企業に信頼感を持っていれば、おのずと採用 担当の役割も担ってくれるのです。 さらに、社員が自分の企業や自社製品を好きでいてくれれば、製品やサービスに対して実際の顧客の声を聞き、ニーズを吸い上げてくれることもあるでしょう。これは、実際に 顧客と触れ合う社員でしかできないことです。社員が自ら顧客を観察し無意識の反復行動 に目を向け、生の声を聞き、それを反映することで企業のイノベーションのきっかけをつ くってくれるチャンスになります。 こうした点から考えれば、企業にとって社員は有益な存在であり、企業は社員を大切に しなければならないことが明らかです。企業価値は社員によって高められると言っても過 言ではないでしょう。 社員側としては、これからの時代、言われたことだけをやっている人は淘汰されていき ます。どう企業を使って自分の幸せや自己実現を図るか、そこからどう所属企業への貢献 へとつなげるのか。この二つを常に意識して行動することが成熟社会の社員の役割であり、 幸せな生き方につながるのです

 

ビジョン経営が会社を強くする

 社員の世界観を統一させる 成長社会には「働く=給料=消費=良い暮らし=幸せ」という方程式と、良い暮らしとはどういうものかという〝ビジョン〟が与えられていました。親に「勉強しないと将来苦労するぞ」と言われた人もいるのではないでしょうか。学歴がそのまま入社する会社のレベルに直結し、給料の高さと暮らしのレベルがイコールでつながるという方程式です。成長社会にもビジョンはあったのです。それが当たり前のように成長社会の中に存在し、多くの人に共有されていました。そのため、改まってビジョンと言われるとわからなかったり、ほかのものと混同して間違ったりします。何より、ビジョンは与えられてしまうものだったため、ビジョンの立て方がわからない人が多い。成熟社会になって国も社会もビジョンを示さなくなったことで、何が幸せかわからなくなっているのが現状です。 ビジョンは「目標」とは異なります。ビジョンには企業なり、その人なりが存在する世界観が示されます。つまり、「自分の世界観の中で自分はどう在りたいかという自分像」です。目標はビジョンを達成する過程において、目の前にある達成すべきものです。 本来企業も個人も、自分でビジョンをつくらなければいけません。そのビジョンを人に話したときに、聞いた人の頭の中でその世界観がイメージできるものであればベストです。 成熟社会における企業のビジョンは、社員の世界観を統一するためのものです。そして、そのビジョンに共感してくれた顧客はファンになってくれ、どうせ買うならここで買おうと考えてくれます。 私が開催するセミナーでビジョンメイキングをすると、たまに「世界平和」「全員幸福」 といったわかりやすいビジョンを持つ人がいます。もちろん、私も世界が平和であってほしいですし、みんなが幸せであってほしいのも同じですが、私はこう聞きます。 「では、世界平和が実現した後には、御社はどういう役割を持ち、どういう動きをするのでしょうか? 全員幸福になった後、御社はどうなるのですか?」その答えが、「会社は存在しなくなる」「存在理由がなくなる」ということであれば、「世界平和」「全員幸福」はビジョンになり得ません。ビジョンは企業の在り方であり、存在理由です。「going concern(継続企業の前提)」といわれるように、企業の最大の使命は、ずっと存在することです。きちんとしたビジョンを掲げ、社員にそのビジョンを浸透させる。そしてビジョンに伴った価値創造をしてもらう。それが社員が企業に共感し、信頼感を持つことのできる企業体制であると言えます。 明確にビジョンを伝える社員がこの企業で働きたい、と思うためには、企業がどこに向かっているのかというビ ジョンがあり、それが社員に明確に伝わっていないといけません。 船で旅行をしようとしたときに、どこに向かうかわからない船に乗りたいと思うでしょうか。船の行き先をきちんと理解し、その行き先が自分の目指している場所であり、その場所に到達すれば幸せになれると思うから、人はその船に乗るのです。企業に属することも同じです。行く先が全く見えないような企業では社員は生きがいややりがいを感じることはありません。 こうした話を伝えると、多くの経営者や管理職の方は「きちんとビジョンを伝え、コミュニケーションを取っている」と言います。しかし、そのビジョンと現実が乖離しているのであれば、社員は納得しません。立派なビジョンを掲げていても、現場では「単に売り上げを上げればいい」「仕事だからやれ」と言われる。このような状況では、社員は落胆し てしまいます。 あるいは「閑散期は暇なんだからあれもこれもやれ」「繁忙期は忙しいから無駄なことをするな」という管理職もいます。そう言われた社員は、当然「閑散期には無駄なことをやらされていたんだ」と思います。本来、閑散期に価値をつくり、繁忙期で価値を使って稼ぐことを考えるのが経営者や管理職に求められることです。 部下に対して言っていることとやっていることが違っていたり、企業のビジョンと行動が伴っていなかったりすれば信頼感を失います。そのときビジョンは綺麗事であり絵に描いた餅であり、むしろ弊害になってしまうのです。 部署のビジョンと個人のビジョン会社としてのビジョンだけでなく、部署のビジョン、社員のビジョンも大事です。その 部署がどう在りたいか、個人としてどう在りたいかです。 部署のビジョンとは、会社の中でその部署が存在する意義です。会社のビジョン達成のためのビジョンであることが必要です。個人のビジョンというのは、いわゆるプライベートなことも含みます。例えば、家で良い旦那さんや奥さんであり、またはママ、パパである、というようなことです。部署のビジョンと個人のビジョンは高い確率で一致しません。しかし、どこか一部分であってもビジョンが一致していないと、社員はすぐに離れてしまいます。例えば、ある個 人が自分のビジョンを叶えるためにお金が欲しいと思っていたとします。そのためにこの会社で働いているとなると、もっと給料の高い他社が見つかった場合には、すぐに転職してしまいます。 仮に部署と個人のビジョンが全く違う場合でも、そもそもその人にとっての幸せは何なのか、上司も本人もわかっていないといけません。その部署にいることで幸福感を感じなければいけないし、個人としてのビジョンも実現できないといけないのです。 部署と個人のビジョンの一致度が見えるように、コンセンサスを取っておく必要があります。そのためには、まずこの部署がどう在りたいのかをはっきり示し、それに共感してもらう必要があります。成熟社会において共感が重要と何度も述べていますが、ここでも第一番目に必要です。逆に、部署のビジョンがコロコロ変わればすぐに社員からの信頼を失います。そんな会社に個人のビジョンを脅かされたくないからです。次に個人のビジョンをその部署が応援することができるのか、自己実現の役に立てるのかをすり合わせていかなければいけません。個人のビジョンがない人であれば、部署を通じて個人の幸せとは何かを追求し、個人の価値観を知る方向に導くといいでしょう。個人 のビジョン育成の手助けをできることが部署にとってはベストな形です。会社の経営とは、仕事だけでなく社員の自己実現およびプライベートな部分にも絡んでくるのです。 社員が辞めない会社をつくる方法社員が辞めない会社をつくる。そのための方法を言葉にすれば簡単です(実際には難しいのですが)。「経営者や上司が変わりましょう」。このひと言に尽きます。 社員が辞めてしまう理由は、自分の属する企業の将来、およびその企業にいる将来の自分像がイメージできないからです。そして「自分が大事にされている感じがしない」から辞めるのです。 多くの場合、経営者や管理職側と社員の頭の中でビジョンが共有できていない、または共感されていないということが問題です。経営者が思う会社像と社員が思う会社像がずれている。そして管理職がそれを理解していないし、実感もしていない。 成長社会で長く育ち、それを当たり前として過ごしてきた経営者や管理職は、「ビジョンなんて必要なの?」と思うかもしれませんが、これからの時代では必須です。新しく入ってくる社員は、これから企業に属し、生活をします。仕事をしている時間も長いですし、企業生活に不安があれば次の仕事を探します。その企業にいると仕事が楽しい、やりがいがある、面白い、自分が大事にされている、この上司のようになりたい、といった実感を持ってもらうことが重要です。働き方を考える上で「ワークライフバランス」という言葉がよく使われます。この考え方も成長社会と成熟社会では異なります。良い暮らしをすることが幸せで、そのために仕事をする、という価値観が定着していた成長社会では、ワークでお金を増やすことで、天秤が釣り合うように、その分ライフの豊かさも増えていきました。逆に仕事(ワーク)を辞めてしまえば、ライフが下がります。 そもそもワークライフバランスとはどういうものなのか、内閣府のホームページには「ワークライフバランス憲章」というものがあります。その中に「若者が経済的に自立し、性や年齢などに関わらず誰もが意欲と能力を発揮して労働市場に参加することは、我が国の活力と成長力を高め、ひいては、少子化の流れを変え、持続可能な社会の実現にも資することとなる」とあるように、ワークの重要性を説いており、決して時間や余暇を与えましょうというものではありません。 働き方も「誰もがやりがいや充実感を感じながら働き、仕事上の責任を果たす一方で、子育て・介護の時間や、家庭、地域、自己啓発等にかかる個人の時間を持てる健康で豊かな生活ができる」とあり、残業時間を抑制することではなく、働くというのがどういう状態なのかを説いています。もし、あと1時間あればこの仕事が片付き、 すっきりしておいしいお酒が飲めるのに、残業時間カットで強制退社させられ、セキュリティ上、会社の外にも仕事を持ち出せず、明日に持ち越さなければならないとなったら、その日のお酒はおいしいものになるでしょ うか。本来、人間はここまでがワーク、ここからがライフとはっきり気持ちを切り替えられるものではありません。仕事でミスをすれば家に帰っても落ち込み、良い仕事ができたらおいしいお酒が飲めるのです。 成熟社会でのワークとライフのバランスは、図のようになります。やりがいや充実感という水でコップが満たされ、そこから溢れた水がライフを潤します。その水を自己啓発・自己学習として、またワークに注いでいくのです。当然コップ(ワーク)を変えることは可能です。雇用の流動化という意味でも健全でしょう。 一気にはできなくても、成熟社会に合った考え方に徐々に変えていかなければ、経営者、管理者として失格です。仕事だからやれ、考えずにやれ、とただ言い続けるのは簡単です。 しかしそれは管理ではなく命令です。社員が辞めてしまう、良い人が育たないとただ嘆いているのではなく、時代が変わったのだから自分たちの在り方も変えなければならないと認識することが第一歩なのです

 

進捗管理から感情管理へ

 優先させるべきは感情の管理 成長社会では、上層部が社員をある意味で生体ユニット、あるいは工場ラインの中のパー ツのひとつとして扱っている企業もありました。そこでは、きちんと予定通りに物事が進 んでいるか、動いているかどうか、常に進捗管理する必要がありました。そのため、成長 社会のリーダーは、ガントチャートを使ったり、スケジュールを立てたりするなど、綿密 なタイムマネジメントを行い、予定通りに業務を進めることを重要視していました。 ただし、進捗管理ではスケジュール通りに事を進めるということが目的になってしまう 危険があります。ともすると、リーダーは進捗管理だけを行い、スケジュールに間に合わ せるように部下を無理やり動かすことが仕事となってしまいがちでした。これは、社員が 対応できない物事に対処し、育成し引っ張っていくという、企業の役割を完全に無視してしまっている状態です。終身雇用などの保証がない成熟社会では、このような企業は敬遠 されてしまいます。 もちろん、成熟社会でも進捗管理は重要ですが、それ以上に優先させるべきは感情の管 理です。やる気のある人々が集まれば、わざわざ進捗管理をせずとも仕事は捗はかどり、結果も 出るという考え方です。 そもそも、進捗管理は社員が自ら動くことを前提とした管理です。「良い暮らし=お金= 仕事」という方程式が成り立ち、良い暮らしのビジョンがある社員はおのずと動くでしょ う。しかし、成熟社会ではこの方程式もビジョンもなくなります。社員は自ら動くとは限 らないのです。 モチベーションの高い社員に進捗管理は不要 そもそも、進捗管理がなぜ必要なのか。 もちろん工場であれば機械の故障、営業であれば取引先との兼ね合いや外部との問題で スケジュール通りに進まないこともあります。しかし、意欲を持って仕事を進め夢中にな っている人は、予定されていたスケジュールに合わせ、物事をうまく進められるよう自発 的に行動します。途中経過で間に合わないような出来事があれば、まず上司に相談し、指 示を仰ぐでしょう。もしくは必要であれば自らが率先して、その状況を打破する策を提案 してくれるはずです。 主体的に仕事に取り組んでいるのであれば、進捗管理はまず必要ありません。結果的に 間に合わないスケジューリングであったとしても、最初からその組み方が間違えていたの であって、部下のせいではないと言えます。 つまり、基本的に進捗管理とは、仕事をつまらなく感じている社員が、いやいややらさ れている場合に必要なことなのです。そう考えると、部下の感情管理ができ、モチベーシ ョンを引き上げることができれば、進捗管理は必要ありません。モチベーションの高い社 員が間に合わないようなスケジュールを立てるほうが間違っています。会社が社員の価値 観や考え方を理解し、最大限のパフォーマンスを引き出せるようになれればいいのです。これからの働き方 いろいろなキャリアを重ねる 大学の講義やセミナーなどで大学生と接する機会が多くあります。その中で実感してい るのは、これからはビジョンを持てないことで悩み、実存的虚無感に陥ってやりたいこと がわからないという若者が増えるだろうということです。 ただ、それは悪いことではないと思います。中学校生活と高校生活は3年間、大学生活 は4年間のスパンです。ビジョンを持てるようになるのに時間がかかったり、やりたいこ とが変わって、仕事を3年、4年、5年で変わるということになってもいいのです。もち ろん、日本人の安定思考に根付いている終身雇用を否定するわけではありません。しかし、 終身雇用が企業側にも働く側にも暗黙の了解となり、そこに甘えが生まれ、互いに堕落し ていくのであれば問題です。 ひとつの仕事を続ける、ということだけが美徳ではなく、いろいろなところでキャリア を増やすという選択肢も増えたわけです。「仕事を辞める若者は根性がない」「これだから 最近の若者は」と嘆く年配の方々と出会いますが、そうではなく、転職にかかる負担や時 間的コストが成熟社会になってぐっと下がっただけなのです。要するに辞めやすくなった。 技術が発達し情報過多になればインスタント&コンビニエンス(手軽で便利)に転職が進 みます。企業側も自社の魅力を高めて、選ばれる企業にならなければなりません。 趣味化していく仕事 人間には足があります。足の機能が発達したのは、自分で長距離を移動しなければいけ なかったからです。いまは電車やバス、新幹線、さらには飛行機と、たくさんの移動手段 があります。その中で長距離を歩く、走るというのは趣味の範囲になっています。フルマ ラソンを走る人は、やりたいからやっている人だけでしょう。 「やらなければいけないからやる」が、「やりたいからやる」に変わる。それが趣味になる。 同じように、仕事も苦行ではなく、やりたいからやるという方向に進んでいくでしょう。パ ラレルキャリアが進む中、ひとつの柱として企業に属して働いていても、ボランティアや プロボノ(職業上の知識やスキルを提供して行うボランティア活動)、あるいは趣味のサークルに入ったり、副業に時間を費やしたりする人も増えるでしょう。会社だけがコミュニ ティではなくなります。仕事が趣味化していくのです。 やりたくない仕事を社員にやらせるわけにはいかない。では企業内で、やりたくないけ どやらなくてはいけない仕事はどうするか。経営者はなるべくそうした仕事を無人化する 方向に目を向けるべきです。 自社改革として、他社にアウトソーシングをするのか、ITを使いシステム化するのか、 AIを駆使するのか。社員にこの企業で働きたいという感情を持ってもらうため、人が面 倒だと思う仕事は自動化してしまうほうが効率的です。そうすれば社員はやりたいことが でき、幸せな仕事をしていると幸福感が高まり、結果として企業価値を高めてくれます。 第3章で述べたように、ITやAIを人件費削減コストカットに結び付ける企業が多い ですが、それは大きな間違いです。成熟社会では人口が減っていき、軒並み人手不足に陥 ります。ITやAIは人が楽しく仕事ができるような環境を整えていくために使うべきで、 人間は楽しい仕事、人間しかできない価値の高い仕事だけをする方向にシフトしていく。そ れがITやAIを使う目的であり、成熟社会の経営の在り方と言えます。 ただし、執筆時点では、まだ人間の代わりになるほど技術は発達していません。年収4 00万円の人が 35 年間働くとすれば、人件費の合計は1億4000万円です。現行のAI やロボットの耐用年数と値段から考えると、どうしても人間のほうが安くなります。ロボ ットは特にメンテンナンスが必要なので維持費もかかります。これからさらに技術的に向 上して値段が下がり、人件費は人口減で高騰すると、いつかクロスポイントに至るはずで すが、まだ先と考えます。しかし、成熟社会の経営者としては常に見ておきたいポイント であることは間違いありません。

 

第6 章リーダー・マネージャーの役割

 

成熟社会の社員の役割

自分の幸せの形を会社に伝える

本章では、成熟社会における管理職の役割について考えます。つまり、部下や後輩をどう管理していくかということです。とはいえ管理職も、ひとりの社員です。まずは広い意味での社員の役割について考えてみましょう。

社員という言葉の定義をしておきます。原則として、社員は役員(取締役、執行役員など)と従業員とに区別されます。本書では、従業員を社員として述べていきます。社員の雇用形態としては正社員、契約社員、派遣社員、アルバイトなどを含みます。業務委託や外注は混乱を招かないように含まないこととします。

この定義からすると、社員は会社に所属し、雇用されて給料をもらっている人、つまり「サラリーマン」です。成長社会のサラリーマンの〝幸せの定義〟はほぼ一緒でした。成人したら一人前になって、結婚し家庭を持ち、車を買い、家を買い、子供を大学まで出し、老後の蓄えをして、なるべく健康に余生を送る。程度の差はあれ、幸せな人生とは大体こういう形でした。良質な幸せを得るために、十分な給料を少ない労働で与えてくれる会社が良い会社とされていたのです。成熟社会では幸せの定義は統一されていません。情報過多、技術発達が進んだ地域では、すべからく幸せの形は個別化、多様化していきます。モノとサービスに溢れて、すべてが選択できる成熟社会では、結婚、家庭、車や家の所有、仕事などがオーダーメイドで選択、カスタマイズできます。いままでは給料の額で社員の幸せの形をコントロールできていましたが、成熟社会では難しくなります。「お金=良い暮らし=幸せ」の方程式が必ずしも適用されないからです。会社側は社員の幸せに環境面、インフラ、福利厚生といった部分にしか共通項を見出せません。そして、個別化、多様化したオーダーメイド部分は、社員に個別に聞いて合わせていくしかないのです。逆に成熟社会の社員には自分の幸せの形を自分で見出して、会社に伝えることが求められます

 

会社は「普通の人」で回っている

 

成長社会では資格給などもあり、スキルを上げていくことで給与が上がって、良い暮らしができました。会社としても、特定の分野に秀でたスーパーマンを数多く揃えることで競争力を高めることができました、しかし成熟社会では、スーパーマンを揃える必要はありません。企業を人間の身体で例えるならば、それぞれのセクションの役割や機能をきちんと果たす実行部隊、つまり臓器がどうしても必要であり、それが会社にとって大事な価値です。人体の臓器に無駄がないように、会社としては無駄を省き、必要なところは生かしていく。成熟社会では人口が減っていくため、会社という人体の中で、臓器の補充が効かなくなります。生身の臓器を機械の臓器で代替していく必要があるのです。人体の場合、置き換えられてしまった臓器には居場所がありませんが、企業は社員の仕事や役割を変えることができます。成熟社会では「これしかわかりません」「これしかできません」「新しいことは覚えたくありません」という社員に居場所はなくなります。特定の仕事を行うことが価値なのではなく、新しい価値、不足している価値をどんどん生み出していくことが成熟社会の社員の役割です。世の中は多くの「普通の人」で回っています。問題はこの「普通の人」の定義が「任された仕事をきちんとこなす人」から、「任された仕事をこなしつつ、新しい価値、不足している価値を生み出せる人」に変化していることです。社員ひとり当たりの負荷は、成長社会より成熟社会のほうが高くなります。これまでと同じ時間の使い方では、任された仕事すらこなせなくなります。ITを導入したり、プログラムを使って自動化したりして、時間効率を高めていく。そこに働き方改革の真の意味があります。働き方改革は企業が行うものではありません。社員が考えて企業に提案していくものです。社員がイキイキと働くために、社員が提案して会社が用意する。会社が準備したものを社員が使う成長社会とは逆なのです。長く成長社会を過ごしてきた人にこうした話をすると、社員にリーダーシップを学ばせようとします。しかし、それが正しいとも限りません。企業に属するサラリーマンの100パーセントが自信と意欲に満ち溢れているかというと、そうではないでしょう。全員が起業家マインドを持ったり、リーダーシップを取ったりすることが必要ではありません。「船頭多くして船山に登る」ということわざがあります。リーダーシップを持つ人、ビジョンを描く人が多過ぎるとかえって物事の統制が取れなくなるものです。怪獣のキングギドラには三つも首があって、どうやって意見を統一しているのか不思議に思います

 

私は幹部研修の依頼を受けてリーダーシップやフォロワーシップ、自律性の研修やセミナーを多く行いますが、すべての社員にそれが当てはまらなくてもいいのです。おかしな言い方になりますが、意識が高くなることで、自分の会社のアラを見つけてしまい、辞めていく人も増えます。成長社会から成熟社会へ切り替わる段階では、どうしてもアラは残っています。それをなくすことも大事ですが、それよりも社員の力をもって会社を変えていくこと、先ほどの「普通の人」の定義を成熟社会にフィットさせることが重要です。必要なのはリーダーシップを学ぶことではなく、この会社でどう幸せになっていくかを社員(役員も従業員も)が共有することです。理想の社員像は成長社会では会社から言われたことを忠実に守り、それを遂行する人が価値であり優秀とされてきました。成熟社会では会社が社員の自己実現の場所となり、社員は会社に価値をもたらさなくてはいけません。会社にとっての価値を理解し、自分で率先して価値を生み出すために行動する人が優遇されることになるでしょう。簡単に言えば、気が利く人、心が尽くせる人です。ここには当然「自分の仕事ではありません」という言葉はありません。難しいのは、怠なまける人がいる場合、その分気が利く人の仕事が増えてオーバーキャパシティになることです。このときは管理職の出番です。怠けたい人が怠けてしまうのは会社の仕組みが悪いからです。評価の基準や扱いを一律にせず、優秀な人は本人が望むレベルでどんどん重用する必要があります。同時に怠ける人をどう活かすかを考える必要もあるでしょう。そのためには、管理職の考え方を変えなくてはなりません。話が横道にそれるようですが、私のセミナーで「法律とは何か」と問いかけることがあります。「悪い人を罰するため」「秩序を守るため」という答えが多いのですが、私は「先人たちの願い」だと思っています。より良く幸せであることを望んで、不完全ながらも日々進歩していく。そのために法律が存在していると思うのです。会社にとっては就業規則や評価制度が法律に当たります。成熟社会では、できたことを評価するのではなく、会社にとってこういう人になってほしいと願って評価制度をつくるべきです。それは与えられる職務や役割によって変わっていくものであり、進化していくものです。多くの会社は評価が曖昧だったり、結果のみの評価だったりします。評価が属人的であることは仕方ないとしても、妥当性と納得性を持つ評価であるべきです。そして社員も自分がどう幸せになるかを語り、それを評価制度に盛り込んでいくよう会社と連携していく必要があります

 

成熟社会の管理職の役割

なぜか多い日本の管理職

 

私は以前外資系企業の研究員として働いていました。外資系企業に比べて、日本企業の管理職の種類はとても多いと感じます。日本企業での課長代理と課長補佐はどちらが偉いのか、権限がどう移譲されているのか、いまでもわからなくなります。また、外資系でも管理職になることや昇進することで給料は上がりますが、必ずしも「昇進する=給料が上がる」とリンクしてはいません。技術者でも管理職を凌駕する給料をもらうことのできる制度が備わっています。これは日本社会全体として改善しなければいけない問題ですが、成熟社会では「キャリアアップ=出世」の構図を壊していく必要があります。キャリアアップは社員の自己実現とリンクしていなければならないのです。管理職にならなくても給料や仕事の機会が増える制度が必要ですし、管理職になっても結果が出せなければ、平社員より給料が少なくても本来は構わないのです。若い社員でも、実力が伴い周囲が納得するのであれば、経営者はその人を抜ばつ擢てきしなければいけません。ただし、それが管理職かどうかは別問題です。「そんなことをしたら誰も管理職にならなくなってしまう」と言われることもありますが、そもそも誰もなりたくないポストをつくることに問題がありますし、なりたくない人に管理をさせる組織運営も問題です。問題解決力もないような人を管理職にしたり、それを年齢順にしたりしているままでは、社員のモチベーションが続きません。部下のパフォーマンスを下げる管理職は組織を壊して、有能な人材を会社から失わせます。また、特に日本では名プレイヤーをマネージャーにするケースが多く見受けられます。本人が望んでいるのであれば構いませんが、本人の意向と関係なく、「これ以上給料を上げるのなら管理職になってもらわないと」という声がたまに聞こえます。繰り返しますが、管理職になることと、給料が上がることはイコールではありません。最近は「管理職に昇進するから辞めます」という人も増えているそうです。私が研究員として働いていた職場にも、「偉くなりたくない、面倒が増えて、やりたいことができないから」と言う先輩がいました。プレイヤーとしてスキルを高めたいのに、管理職になってしまえばできなくなってしまう。そうして転職してしまうのです。言うまでもなく、プレイヤーとしての能力とマネージャーとしての能力は別です。プレイヤーとしてどれだけ頑張っても、成熟社会において求められるマネジメント能力は身に付かないのです。ガン化した管理職を取り除く「2:6:2の法則」という有名な法則があります。組織の中で、しっかり働く人は2割、日ひ和より見み が6割、働かない人が2割。面白いことに、働かない2割を切ると、残った8割の中でまた2:6:2に分かれていく。日和見の一部が働かない人に変わり、働いていた人の一部が日和見に変わるのです。私がコンサルティングをしている会社では、働かない2割にたくさんの管理職が存在しているケースが多く見受けられます。定年というゴール間近で、保身に走って何もしない事なかれ主義。いつの間にか組織のガンとなっている管理職。ひどい場合は優秀な部下に無自覚なパワーハラスメントをして、部下の意見も聞かず、理論の伴わない軍隊的な指示を飛ばします。部下に無理をさせ、疲弊させる。社員の離職率が高い企業では、この傾向が強いと言えます。そして残った社員はその状態をつくり出した経営者に不信の目を向け、なかばあきらめ、経営者の語るビジョンは口だけのもの、実行力が伴っていないと考えてしまいます。ガン化した管理職には、「考えない」「口だけで動かない」「動いたとしても無策に動く」「社長と部下に嘘をつく」「現実を見ない」「言い訳をして認めない」「会社のことを考えない」という七つの行動習慣があります。失礼ながら、経営者がこうした管理職を切らなければいけません。それをできず放置して悪化させる経営者が多い。ガンの治療に効果があるのはガン細胞に供給される栄養を止めることです。退職させなくても、降格や役職変更などでガン細胞が活動しないように栄養を断つことが必要になります。先程「2:6:2」の下の2を切ると新たな下の2が生まれると述べましたが、それは全体の10割が同じ立場のときです。下の2の管理職を切っても、立場が違うので影響はありません。むしろ会社が活性化します。社員と企業の信頼関係を築くために必要なのは、社員として当然の希望を満たすことです。

①仕事に見合った報酬(感情的報酬と金銭的報酬)

②仕事をするのに幸せな環境(人間関係や労働条件)

③共感ややりがいを感じることのできる仕事(自己実現や目的を意識)

 

成熟社会のマネジメントは、つまるところ、この三つを管理していくことなのです。ガン化した管理職は①の感情的報酬を与えず、②の幸せな環境を壊し、部下のことなど考えず、上から来た指示を丸投げして③を奪います。経営者はここでガン化した管理職を切るという手腕を発揮しなければ、社員からは無能と評されてしまうでしょう。会社に必要な三つのマニュアル社員管理のためには、直接的なマネジメントだけではなく、マニュアルも必要です。企業が社員に会社の方向性や、仕事の流れを理解してもらうためのものです。企業におけるマニュアルは、大きく分けて三つあります。「規範マニュアル」「教育訓練マニュアル」「業務マニュアル」です。ほかに危機管理マニュアルなどもありますが、ここでは割愛します。規範マニュアルはマインドマニュアルと言い換えられます。「ビジョン」「理念」「行動指針」など、企業側の気持ちや願いなどの“Why”、「なぜそれを行うのか」というマインド面を伝えるものです。教育訓練マニュアルはテキストマニュアルのことで、一般的に「テキスト」と呼ばれているものです。その名の通り、「教育」や「訓練」であり、各個人の持っている暗黙知を形式知化して社内に標準化することで全体レベルを上げるものです。「どのようにやっていくか」の“How” を示すものです。業務マニュアルはオペレーションマニュアルで、“What” の部分です。「業務の流れ」「業務内容」「作業手順」など、業務を円滑に進めるためのものです。日本で「マニュアル」というと、多くの人がこのオペレーションマニュアルをイメージするのではないでしょうか。テキスト(マニュアル)や(オペレーション)マニュアルはあっても、マインドマニュアルがある会社は少ないと思います。日本は戦後生きるのに必死だったため、テキストマニュアルとオペレーションマニュアルだけが先行している場合が多いのです。マインドマニュアルの「なぜそれをやるのか」が抜け落ち、管理職は「とりあえず仕事だからやれ」としか言わないマネジメントになっています。成熟社会では「この会社はなぜ存在するのか?」といったマインドの部分が特に大事になります。また、マニュアルを作る際の正しい流れとしては、企業の方向性や考え方を理解するためにまずマインドが作られ、その後にテキスト、オペレーションと進んでいきます。そうしたことからマニュアルの中でも、マインドマニュアルがいちばん重要です。なぜその企業は存続するのか、何を提供するのか、社会の中で何が受け入れられているのかをきちんと理解しなければ、成熟社会で重要な共感というマインドは動きません。この三つのマニュアルがきちんと整備されていることが、まずは成熟社会の企業の大切なポイントになります。特にマインドマニュアルを後付けした会社は要注意です。かなりの労力をかけなければ浸透しません。管理職の熱量が問われるのです。全社員に必要なメンタルヘルスケア少し暗い話になりますが、企業の現場ではメンタルヘルスを病んでいる人の増加が問題となっています。経済産業省が提案している健康経営の中にも、「ストレス・メンタルヘルスに対する正しい理解の促進」という項目があるくらいです。離職率の上位もストレスと人間関係で、仕事の内容より大きな問題となっています。当然、管理職がケアすべき項目です。何度も言いますが、成熟社会では感情の管理が大事です。これからはセクハラやパワハラだけでなく、「パタニティ・ハラスメント(男性社員が育休取得後に転勤の内示や降格などのいやがらせを受けること)」など、これまで取り上げられなかったハラスメントも表面化していきます。また、「ダイバーシティ(人材と働き方の多様性)」も当然の流れになります。成長社会を過ごした方には理解できないことも多いかもしれませんが、感情の管理の重要性がわかっていれば大丈夫です。「部下の幸せを願うこと」。このひと言だけで管理職としてのほとんどの問題は解決します。寄り添うことが重要になるのです。一方、別の根本的な問題も存在します。「本当に自分がやっている仕事の中に幸せがあるのか?」と自問自答をすることで、いろいろな疑問や不安を感じる人が増えています。企業の雰囲気や環境が悪いわけではない。コミュニケーションがうまく取れないわけでもない。仕事はそつなくこなし、業績もそこそこ。とはいえ、すごい結果を出すわけでもなければ、この仕事が自分の成長のために必要なのかもわからない。周囲と心からつながっている感じがしない。暮らしに不自由しない程度の収入は得られるけれど、心が渇く。やりたくない仕事をやらされていたり、その仕事を自分でやる意味がわからなかったりすれば自己成長は感じられず、満足感や達成感も得られません。実存的虚無感を感じて自己肯定感がなくなり、自分を保てなくなる人が多くなります。さらに長時間労働で自分の時間もなく疲弊するだけであれば、感情も身体も病んでいきます。メンタルヘルスを病むことは長時間労働が原因という単純なものではありません。楽しいゲームを何時間も続けてもメンタルは病まないでしょう。楽しいことをやって時間が過ぎている分には全く問題がないのです。成熟社会の全社員に必要なのは、自分が必要とされ、自分がやりたいことをやることができているといった肯定感であり、快適な環境です。これからの企業は、経済的な豊かさだけでなく、社員が心地良く過ごす精神的環境を提供できることが重要になります

 

リーダーとマネージャー

共に必要なのが感情管理

管理職を示す言葉に「リーダー」と「マネージャー」があります。管理職をマネージャーと呼び、「リーダーシップを発揮する」と表現するように、マネージャーは役職、リーダーはスキルの持ち手として扱われることが多いようです。私も多くの企業の管理職研修を行っていますが、ここの定義が曖昧な人が多くいます。混同しがちな肩書きであるマネージャーとリーダーの違いを考えてみましょう。リーダーとマネージャー、共に必要なのは、人の〝感情〟を大切にすることです。部下の感情の管理をして、モチベーションやパフォーマンスを上げます。その上で何をするかで、両者は分かれます。チャレンジ的要素をリーダー、実務目標達成要素をマネージャーが担います。リーダーは会社のビジョンを正しく理解し、社員をあるべきところに引っ張っていく人です。無理やりにではなく、社員が自然にそう進んでいくように仕向けるという言葉が適切かもしれません。マネージャーはその部署が目標にたどり着くことを前提に、そのために部下を維持管理する人です。「プロジェクトリーダー」という場合、プロジェクトがうまくいく確率は100パーセントではありません。失敗、撤退もあり得ます。一方、プロジェクトマネージャーは100パーセントうまくいくことを前提に、起こり得る問題や課題に対処していく立場になります。中小企業の場合は経営者がリーダー、部長以下がマネージャーという形が多く、リーダーがビジョンを語り、やるべきことを明確にして部署ごとの目標を設定します。そうして部長などのマネージャーが社長の思いを部署に合わせて言語化することで、社内にビジョンを共有し、部下のモチベーションを上げていくことになります。成長社会では、リーダーとマネージャーは企業ビジョンのもとに一致しなければいけませんでした。マネージャーが実務を回すことだけを考えていると、チャレンジ的要素をリーダーが示しても、マネージャーはその要素を業務の邪魔にしか感じないからです。成熟社会ではどのような人を管理職にすればよいでしょうか。管理職はリーダー向きの人、マネージャー向きの人、どちらも向いてない人、両方できる人の4パターンに分かれますが、どちらも向いてない人に管理職をやらせていては、若い世代が未来に魅力を感じず定着しません。どちらも向いてない人かどうかは、感情の管理ができているかを見ればわかります。人に興味のない人間が管理職になるべきではないのです。管理職が部下のモチベーションを上げて動きやすくするために、最初のステップとして重要なのは、企業のビジョンを自分なりに理解し、部署のビジョンを設定して、部下にきちんと伝えることです。管理職である自分がやっていることや、部下がやっている、または今後やる仕事について、部署のビジョン達成のためになぜ必要なのかをしっかりと語れなくてはいけません。企業のビジョンを額面通り受け取り、メッセンジャーのようにただ伝えるだけでは部下はついてきません。管理職に共感できなければ、部下が率先して行動を起こすことはないでしょう。部下から共感を得るためには、管理職自身が企業のビジョンを自分の気持ちの中にしっかりと落とし込まないといけません。そして、管理職自身が企業に共感したところ、また自身の能力やスキルがどのように企業に結び付き、役に立つと思って働いているのか、そして自身がこの企業にいてどう幸せであるかを伝えられなければいけないのです。管理職自身が、部下から「将来あんな管理職になりたい」と思われるようなロールモデルになることが重要です。部下はそう思うことで仕事を頑張り、その部署にいることに安心し、この上司についていこうと思うようになるのです。自社を愛し惚れ込み、自分を知ること、自社を誇り語ること、これがリーダーとマネージャーの最低条件と言えます。プレイングマネージャーに場づくりはできない労働力不足もあり、最近はいわゆるプレイングマネージャーが増えてきました。このプレイングマネージャーという定義自体が、成長社会と成熟社会の狭間で生まれてしまったもののように思います。プレイングマネージャーとは、部下と同じような仕事内容で自分の担当を持ちながら、自分自身のマネジメントを行い、部下のマネジメントも行う。いわゆる三足のわらじです。当然業務過多になるはずですが、会社側からするといままで稼いでいた人がマネージャーになると稼げなくなってしまうので、プレイヤーのままマネージャーもやってくれ、という無茶ぶりに近い肩書きです。大抵の場合、プレイングマネージャーは本人の意識が高いため、その人個人のマネジメントは必要ありません。自分で掲げた目標には自信を持って取り組み、成果を出します。問題は部下をマネジメントできるかというところになります。そもそもマネージャーの仕事は部下の仕事とは異なります。マネージャーが管理、解決しなくてはいけないのは、部下が実際の仕事を遂行する上でカバーし切れない部分です。例えば他部署との調整や連携など、部下に伸び伸び仕事をしてもらう環境をつくること、部下のパフォーマンスが向上するよう感情の管理をして、補佐することです。まとめて言えば、部下の能力発揮と感情管理を目的とした、二つの「場づくり」です。もちろんプレイングマネージャーには部下と同じ仕事をすることにより、現場感を失わずにマネジメントができるなどのメリットもあります。また、昔は部下がやっている仕事と、本人がやっている仕事が一緒のことが多かったため、徒と 弟てい制のように仕事を教えることもできました。しかし、成熟社会においては情報量が多過ぎるため、仕事は細分化し、進行も速くなります。プレイングマネージャーがやっている仕事と部下がやっている仕事が異なる場合が多く、より場づくりを意識しなければいけなくなっています。プレイングマネージャーは自分の仕事にも追われるため、場づくりの時間がないというジレンマが生じます。結果、ただの進捗管理しかできないプレイングマネージャーが量産されていくのです。それどころか部下がやっていることがわからなくなり、部下の進捗管理さえもできなくなることがあります。結果、プレイングマネージャーになった人がただ疲弊するという事態が起きています。リーダーとマネージャーが管理職としての役割を果たせなくなれば、部下の離職が増えます。自分が動く能力と人を動かす能力は違う。誰もがそのことを理解しておく必要があるのです。チームプレイとチームワーク管理職として部署のメンバーそれぞれに、どのような役割を持ってもらうのか。そうした考え方も成熟社会と成長社会では大きく異なります。ひと言で表せば、「チームプレイとチームワーク」の違いです。例えば、野球とサッカーでは、どちらがチームワークでどちらがチームプレイでしょう。本書では、野球がチームプレイで、サッカーがチームワークとします。チームプレイは役割が決まっていて越権行為は許されません。一方でチームワークはそれが可能です。野球は9人でプレイします。さまざまなポジションがありますが、もしピッチャーがいなくなった場合、ゲームは成り立ちません。補充か代替が必要です。また、ピッチャーが引退したら、チームはもちろんピッチャーを募集します。セカンドやキャッチャーを募集することはありません。ほかのポジションから替えはきかないのです。それぞれのポジションの役割は分業されていて、それを越えることは暗黙上許されません。ピッチャーが投げた球がバッターに打たれたとします。打たれたことはピッチャーの責任ではありますが、外野に飛んだ球をピッチャーが取りに行くことは効率上求められていません。一方で、サッカーは11人でプレイします。仮に反則でひとり退場となった場合も補充がなく11対10で競技は続行されます。この際、人数が少ないチームが負けるかといえばそうとは限りません。戦略や戦術によって、ほかのポジションの人が足りなくなった部分をカバーし、勝つことも可能です。サッカーは試合状況により越権行為が許されます。というよりは、それが求められます。フォワードは攻めるプロでありながら、ディフェンスもできなければいけません。もちろん、ディフェンダーがシュートを打つこともあります。野球は人がいるところにボールを投げますが、サッカーは人が進む方向に、もしくは動かしたい方向にパスを出します。チームワーク型であるサッカーは、味方や敵が常にどう動いているかを頭で描くイマジネーション(想像力)が大事なのです。野球とサッカーに企業内での仕事を重ねると、人口が減っていく成熟社会では役割が決まっているチームプレイ型のスタイルでは効率が悪いことがわかると思います、また、チームプレイ型では誰かが退職するたびに会社が弱体化してしまいます。野球とサッカーでは初めから組織のつくり方、人の育て方が違います。これまでの企業は人材も潤沢だったため、「ここから先は自分の仕事ではない」というやり方も通用しましたが、成熟社会では徐々に無理が生じてきます。ほかの人がいなくなった際にも、うまくカバーし合えるような体制でなければ、企業が立ち行かなくなります。成熟社会には、チームワークを意識しながら仕事を進める体制が適していると言えるでしょう。管理職は、自分の仕事の枠を広げない部下や、自分しかわからないように仕事を囲っている部下に目を向けてみましょう。そしてその仕事をほかの人にでもできるように、ITやマニュアルによるシステム化を目指します。仕事の越権行為を許せる組織をつくることが大事なのです。

 

リーダーとマネージャーに必要なスキル

自分を知り相手を知る

 

管理職というと、「俺についてこい」と強引に引っ張っていくようなイメージを持つ人も多いでしょう。成長社会では、それで部下もついてきたかもしれませんが、成熟社会では成り立たなくなっています。もちろん管理職には部下を引っ張っていく力も重要なのですが、それよりも部下(人)との関係性をうまく構築し、部下が率先して行動するように導く力が重要になってきます。成熟社会では、社員がこの企業で働きたいと共感すること、この企業に属していて幸せである、または安心感を得られるといったような感情を持てることが必要だとお伝えしました。そのためには、会社の中で最も身近で会社の中核を担う存在である上司と部下の関係がこれまで以上に円滑でなければなりません。当然ですが、管理職がいるということは、そこには最低でも2人以上のコミュニティが形成されています。お互いに合意形成ができるか、納得し合って進められるかどうかがとても重要になります。そのときに間違ってはいけないのは、「自分がこう思うのだから、相手(部下)も一緒である」と考えることです。成熟社会での価値観はバラバラで、一人ひとりの考え方やビジョンも違います。自分と相手との違いはただの「違い」であって「間違い」ではありません。部下の意見が自分の意に添わなくても、間違いではない。それを前提に関係性を築き上げなければいけないのです。そのために、まずは自分を知ることが必要となります。管理職である自分が、何が好きで、何が嫌いなのか、どういう価値観を持っているかを追究します。相手との違いを知るためには、自分の考え方を客観的に理解する必要があります。次に相手である部下の気持ちも考えます。部下が企業に何を求めているのか、どんな仕事をして自己成長を進めていきたいと思っているのかを、きちんと理解することが大切です。成長社会の管理職のイメージは捨てましょう。自分が管理職になる前から組織に負の連鎖が存在していたのであれば断ち切り、部下と共に新しいコミュニティを構築する必要があるのです。

 

コミュニケーションの二つの要素

自分を知り、相手を知った後に、相手とのコミュニケーションを進めます。ここで不思議に思った人がいるかもしれません。コミュニケーションを取らないと相手のことを知ることはできないだろうと。一般的にコミュニケーションとは何かと聞くと「対話」や「会話」という答えが返ってきます。しかし対話は「ダイアログ」であり、会話は「カンバセーション」です。コミュニケーションそのものではありません。コミュニケーションとは「つながっている状態」を指します。つながっていることによって意思疎通や情報交換ができるようになるということです。そこには二つの要素があります。コード(記号)とコンテキスト(雰囲気)です。みなさんは紙に付いたインクの染みを見て泣いたことがあるでしょうか。誰もがそんなことはないと答えるでしょうが、実は多くの人が経験しています。質問を変えてみます。漫画や小説を見て泣いたことがあるでしょうか。これにはイエスと答える人が多いと思います。漫画や小説は物体的には紙に付いたインクの染みです。しかし絵や文字から意味を汲み取ることができる。これがコードです。ある夫が長年連れ添った妻に「おい」と言えばお茶が出てきて、「あれ」と言えば眼鏡が出てくる。コードとしての言葉が不明確にもかかわらずコミュニケーションができています。長年連れ添った経験から雰囲気で意図を読み取る。つまり、これは高コンテキストでコミュニケーションを形成していることになります。逆に文化の違う外国人同士で仕事をしようとするとルールや契約、マニュアルなどが必要になるかもしれません。このような場合には、高コードのコミュニケーションが必要になるでしょう。つまり、コミュニケーションはコードとコンテキストの両方で成り立っており、人に応じて、この割合を変えていく必要があります。リーダーと部下の間で重要なのは、まず仕事の内容や作業の進め方などが、因果関係と筋道の通ったやりとりで相手に適切に伝わることです。これがコードに当たります。次にそれぞれが相手は自分と違う感情を持っていると知ることです。その感情によって仕事のやりやすさなどが左右されます。上司は部下の楽しい、面白いといった感情を引き出し、情緒的に心地良いコンテキスト、つまり心理的安全性をつくり出すことが大事です。そして、お互いの価値観や希望、ビジョンをすり合わせて納得した上で、仕事の中身に対して合意形成をし、お互いが責任を持って関わること(コミットメント)を決める。これでコミュニケーションの完成です。決して、仕事だからと押し付けてはいけません。部下のことを考えず一方的な命令形で、無理やり業務に取り掛からせれば、たちまちコミュニケーションエラーを起こしてしまうからです。

 

リーダーシップスタイル

前述した通り、リーダーは会社のビジョンを正しく理解し、社員を在るべきところに引っ張っていく人です。「リーダーシップ」という言葉がよく使われますが、「シップ」には関係性という意味があります。コミュニケーションを取り、人との関係性をうまく構築していく能力、これが成熟社会のリーダーにとって肝心な要素です。人間は着る服(スタイル)によって相手に与える印象が異なります。白衣を着ていれば医者に見えますし、警察官の制服を着れば警察官に見えます。リーダーも同様に、リーダーシップスタイルに着替えることで、効果的にリーダーシップを発揮できます。ダニエル・ゴールマンは、著書『EQリーダーシップ成功する人の「こころの知能指数」の活かし方』(共著・日本経済新聞社)で、「六つのリーダーシップスタイル」を説明しています。これらのリーダーシップスタイルを理解していると、実際の現場でとても役に立ちます。まず、ひとつ目はビジョン型。総合的に見て成熟社会ではこのスタイルがとても有効と言えます。ビジョンという共通の夢(世界観)に向かって人の心を動かし、場づくりができ、共感が得られます。企業への帰属意識が働き、前向きに働きたいと思ってくれるようになります。二つ目はコーチ型です。人に興味があり、思いやりを持って部下を理解できるリーダーに適しています。コーチとして、部下と一対一でコミュニケーションを取り、部下のポテンシャルを最大限引き出すことができます。一人ひとりを大切に育てていくことができ、モラルの低下もありません。このスタイルのデメリットとしては、時間がかかることです。三つ目は関係重視型。友好型とも言えるかもしれません。みんなの目線を統一し、コミュニケーションを取りながら進めていくスタイルです。お互いの強みや弱みを認め合い、それを補い合っていく補完的要素もあります。グループや組織の融和を求める際にも最適です。ただし、メンバーそれぞれが有能で、自立性を持っていないとなかなかうまく機能しません。自立性がないと、仲良くはできるのですが、仕事で壁ができてしまうと途端にバラバラになってしまうからです。そうして関係性が崩れてしまう危険性もあります。四つ目は民主型で、これは民主主義的にメンバー全員の賛同を得ながら進めていくスタイルとなります。リーダーシップに自信がない人やビギナーには最適です。問題点は、メンバーのコンセンサスを元に進めるので、能力のない人たちが集まると何もできなくなってしまう、消極的になってしまうということでしょう。五つ目はペースセッター型。これはランニングのようにリーダーが前を走ってペースセッターになり、部下はそれについていくというスタイルです。ただし部下のモチベーションが低いとうまくいかず、リーダーシップは崩壊します。リーダーひとりだけが走っていき、部下が追いつけないというパターンです。メンバーにやる気とリーダーへの共感がある場合、また実力主義の企業などでは有効に働きます。最後の六つ目は強制型です。強制的に指示命令をする、成長社会には多かったスタイルであり、短期的に実績を上げたい場合などに有効です。しかし成熟社会には基本的に向きません。モラルが低下し、メンバーの気持ちがまとまらなくなります。成熟社会でこれが有効なのは緊急事態の場合でしょう。火事が起きているときにみんなで話し合っていてもうまくいきません。とにかく指示が必要になります。人はそれぞれ複数の要素を持っています。この六つのリーダーシップスタイルを、自分がどの割合で持っているか把握しておきましょう。状況や人に応じて使い分けて、リーダーシップを発揮できます。それぞれのリーダーシップスタイルを知っておけば、ひとつの型から別の型へシフトすることができます。例えば昔ながらのリーダーは命令型が多いと思いますが、命令型はビジョン型の方向にシフトしてみましょう。伝える内容を命令からビジョンに変えればいいのです。威厳を感じさせる雰囲気は、ビジョン型にも役立ちます。また、これらのスタイルはひとつだけではなく、ビジョン型とペースセッター型など2種を組み合わせて使い分けることもできます。まずはビジョンを伝えて人々を動かし、目指す場所へと自らが導いていきます。自分の企業やいまのフェーズで求められているものは何か、熟考しておくことが重要です。

 

マネジメントスタイル

ここではマネージャーが知っておきたい「マネジメントスタイル」についてお話しします。前述したようにマネージャーはその部署の目標にたどり着くことが前提で、たどり着くよう部下を維持管理する人です。裏を返すと部下がうまく仕事をできているときにマネージャーは必要ありません。マネージャーの良し悪しは、問題が起きたときにどのように解決するか、その方法を適切に提案できるかなのです。マネジメントスタイルには、プランニング、アドバイス、コーディネート、コンサルティング、カウンセリング、コーチングなどさまざまあります。まずプランニングというのはその名の通り、計画を立てることです。部下が直面しているさまざまな問題点を吸い上げながら、解決のためのプランを立て、実行します。アドバイスは、部下に助言をすることです。それに従うか従わないかは相手に任せるため、そういう意味では部下に責任を持たせることになります。また、気づきを与えるアドバイスをすることもあるでしょう。部下がアドバイスした通りに行動しないと怒るマネージャーがいますが、アドバイスは相手に責任があるということが前提です。不快に思ってはいけません。アドバイスとは逆にイチから10まで準備して、その線の上を部下に走らせるのがコーディネートです。未経験の仕事を任せたりする場合、このコーディネート型を使い、後押しすることによって部下の心理的な安全性を保つことができます。上司であるマネージャーがコーディネートしているわけですから、部下はその方針に沿っていけばいいのだと安心して仕事に取り組むことができます。コンサルティングは問題を分析し、課題を解決していく方法です。実際に問題が起きた際、状況を把握するためにコンサルティングをします。部下では状況が把握できないとき、部下のこれまでの仕事の取り組み方を上手に引き出し、多くのフェーズに問題点がないかを洗い出します。カウンセリングは部下が悩んでいるとき、何かを見失ったときに有効です。コンサルティングとは逆にそもそも論に立ち返り、相手のやるべきことを見極めていく方法です。最後はコーチングです。これは相手を伸ばしていくために、相手が求めているもの、探しているもの、もしくは在りたい姿を明らかにし、仕事を通じて引っ張り、実現を手伝うやり方です。自律を促すため、教育にも使えます。簡単にお話ししましたが、どれもが一長一短です。マネージャーはこの戦術を理解し、その状況や場、相手に応じて、適切にやり方を変えていく必要があります。「君は何をしたらいいと思う?」先ほど野球とサッカーを例に、あるべき組織の形についてお話ししました。野球は外部からサインで都度、指示を出しますが、サッカーでは選手が自律して動きます。成熟社会ではこの自律型社員の育成が管理者の大きなミッションと言えます。成長社会における最終的なゴールは会社の成長であり、それがすべてでした。しかし成熟社会では、そもそも自分の会社で働いてくれる人たちがどう幸せになれるのかが重要です。幸せになった社員が会社に価値をもたらし、ひいては企業の売り上げにつながるのです。社員が幸せであるためには、まず、〝幸せの定義〟について考える必要があります。成熟社会において、これがとても重要でありながら、答えが不明瞭な世の中になっています。そのような状況下でも、自分で答えを出して「これが自分にとっての幸せである」という納得感を持ち、きちんと成長していけるかどうかが肝になります。自分の中に明確な幸せの定義を持って行動していけるかどうかです。そのための対話を管理職は怠ってはいけません。成長社会の学歴社会では、人がつくった問題の正解を書けば100点が取れました。人と同じ答えを出すということが勉強においては特に重要だったのです。しかしビジネスにおいてはそもそも正解がありません。一概には言えませんが、勉強ができて答えを探すのが得意な人は、仕事を適切に遂行することが難しい世の中となるでしょう。成熟社会で生き抜けるのは、自分で答えを出して自分で行動できる人です。他人と比べることなく、自分で自分の人生を考え抜く力がある人です。自分の部下に「これから何をしたらいいですか」「次の仕事は何をしたらいいですか」と質問されたら、管理職の方はこう答えてください。「君は何をしたらいいと思う? 何がしたい?」何をしたらいいのかわからない部下と一緒に、次の方向を一緒に考えていく、もしくは、相手に答えを出させなければいけません。管理職が細かく指示を出すと、部下は考えることをやめてしまいます。それは管理職にとって最悪の状態ですが、自分で考えて行動するように育てなかった管理職にも責任があります。まず、変わるべきは経営者や管理職であり、社員ではありません。では、どのように指示とサポートのバランスを取ればいいのでしょうか。山やま本もと五い そろく十六(日本の海軍軍人で元帥海軍大将)の有名な言葉があります。「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」聞いたことがある方も多いと思いますが、この言葉に続きがあることを知っている方はあまりいません。続きはこうです。「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」この「話し合い、耳を傾け、承認し」に、先ほどの「君は何をしたらいいと思う?」が重なるのです。管理職は部下を動かすことだけではなく、部下を育て実らせることが重要です。部下を自ら考えて行動するように育ててください。

 

第7 章 財務・予算の目的は

 

ビジョンと財務の一体化

成熟社会と資本主義の関係

 

ここではまず、成熟社会の財務を語る上で基本ルールとなる、資本主義についてお話しします。もちろん社会全体の活動である経済と、企業の活動である経営とを一緒に考えることはできません。しかし成長社会から成熟社会への変化が経営にどう影響するのかをお話しする上では、一度整理しておくべきだと思うのです。持っている人から持っていない人に価値を渡したときに、解消したギャップの大きさで対価の量が定まる。これが資本主義の原則です。ただし絶対価値ではなく、相対価値で決まります。例えば同じ車種でも、中古車と新車では価値が異なります。実際にどの程度差があるのかは専門家が分解でもしない限り、正確にはわかりませんが、取引は成立します。資本主義社会では、お金の量という尺度で裕福度合いを測ることができます。安く仕入れて付加価値を多く付けて高く売ることができれば、お金を多く持てるようになります。ここで金利について考えることになります。お金を借りて付加価値を多く生み出し、大きく儲けられれば利潤の中から金利と元本を払っても、裕福になります。これが経済成長の原点です。「借金して設備投資して経済成長」が王道だったわけです。かつてお金は純金との交換券でした。純金の量は採掘が進んでも急激には増えません。単純に言えば、お金の流通量は世界に存在する純金の量と同じだったわけです。しかし1971年のニクソン・ショックから、お金の機能は変化し、概念的なものになりました。そもそもお金は物体的には紙です。純金の量と関係なく印刷して増やすことができます。お金の量はどんどん増えていき、世界の隅々まで溢れていきます。日本では1980年代後半にバブル経済が崩壊、世界的にも1990年代のアジア通貨危機、2008年のリーマン・ショック。消費を上げるために借金をして儲けても、結局弾ける。これをずっと繰り返しています。付加価値の総和であるGDPの世界総額より借金のほうが上回り、その差はさらに広がっています。経済成長における付加価値額より、借金の増加額のほうが上回っているのです。人口が増えていた成長時代は、供給より需要が多かったので、「借金して設備投資して利潤を上げて借金返済」が成り立ちます。しかし成熟社会ではモノやサービスが溢れています。裕福なことが幸せの定義ではない人が増えています。となれば、設備投資をしても利潤は上がりません。人口減少で市場も大きくなりません。給料が上がらなければ、親が子に学費を出せなくなるので、子供は学生ローンや奨学金を借りて進学をします。就職してから借金を返すことで手一杯になれば、消費も落ち込みます。個人も企業も政府も借金で回らなくなっている。これが成熟社会と資本主義の関係です。借金返済のために前の年より成長しなければならないという活動は持続不可能です。これまでの章で述べてきたような経営に変化を求める話は、この事実が基盤となっているのです。

 

何のために会社を大きくしたいのか

 

成長社会と成熟社会における財務と予算の考え方は大きく違います。「そもそも会社を大きくして何をしたいのか」を考えずして闇雲に会社を大きくするのは、ナンセンスです。子供に「大きくなったら何になりたい?」と聞き、元気良く「サッカー選手!」「お医者さん!」と返事が返ってきたとします。そのためには身体を丈夫にするバランスの良い食生活が求められるでしょう。あるいは知識を得るために教育費(コスト)をかけて育てる必要もあります。こうした対策を決めることができるのは、「何をしたいのか」が明確になっているからです。同じように会社のビジョンとお金の使い方(財務)も一致しないといけません。成長社会では規模を大きくすることで他社と差を付けるという図式がありました。「戦術」「戦略」と言い表されるように、ビジネスを戦いとみなしており、自社がつぶれないために大きくして力を付けるという考え方です。しかし成熟社会では、戦いや競争ではなく「みんなで作っていきましょう」という「共創」の概念が強くなっています。そもそも敵が異分野からやってくるため、同じ業界で争っていても生き残りは難しいという面もあります。まずは企業としてどう在りたいのか、どういうことをやりたいのかという、方向性やビジョンをしっかり持たなければいけません。ゴールがないのにマラソンを走ることはないのと同様です。

次にやることのために経営をして利益を出す

 

ゴールをはっきりとさせた上で、お金をどううまく使っていくかを考えることが重要です。ここは経営判断であり、それぞれの企業の状況によって取るべき対策は異なります。ここではある程度資金的に余裕があって、目線が先に向いている経営者に向けて述べます。まず経営者に変えていただきたいのは思考です。「利益を出すために経営をする」ではなく、「次にやる事業のために経営して利益を出す」。一見同じように思えるかもしれませんが、利益が目的なのか、次なる事業へのリソースなのかで大きく異なっています。利益を出すために経営している経営者は創業者、株主、債権者に向いて経営している、次にやることのために経営している経営者は会社に向いて経営している、とも言えます。次にビジョン達成に向けた戦略を介した計画を立てて、それぞれにかかる費用を割り当てます。もし破綻していたら計画を見直し、それでも無理ならば戦略を変えます。ここでビジョンが揺らいではいけません。頭に汗をかいて、何度も戦略を考えるのです。最後に、投資に関して可能な限り全社的にオープンにします。人の口に戸は立てられません。お金の使い道も、必ず社員の間を漏れ伝わっていきます。例えば新しいビジネスに投資しようとすると、従来のビジネスを担当している社員が「こっちのビジネスは見捨てられたのか」と勘違いしたり、「こんなに頑張っているのだから新しいビジネスに投資する前に給料を上げてほしい」という不満が出たりします。ビジョン達成のために投資を行っていることをきちんと浸透させることで、会社全体に納得感を持たせる必要があります。利益を出して再投資できるのは社員のおかげであり、ゆえに財務をオープンにするのは当然です。以上三つの手順をお伝えしました。このことから、ビジョンと財務は一体化しなければいけないことがおわかりいただけると思います

 

成熟社会のお金の基本

 

資金移動や貯蓄が資金繰りではない企業などの組織を「法人」と呼びます。これは「法律上の人」であるからです。企業を人として捉えると、資金繰りについてよく理解できます。法人と区別するために、普通の人間を自然人とします。自然人の身体には血液が必要で、血液がうまく身体を循環するには、「量」と「ルート」と「速度」の三つが重要です。血液の量が減少すれば失血死しますし、ルートである血管が切れたらそれ以上先の部分に血液は届かず、壊死してしまいます。心臓が拍動してから血液が心臓に戻るまでに数年かかるとしたらどうでしょう。きっとドロドロになってしまいます。速度が遅いと循環不全、機能不全を起こします。この例を法人に置き換えると、血液はお金です。お金の量が足りなかったら法人はつぶれてしまいます。ルートは使い道で、どんなところにお金を流し込むかが重要となり、うまく投資してお金を活用することが必要です。前項で述べた戦略を介した計画に費用を割り当てることになります。速度は、お金を払ってから戻ってくるまでの投資回収速度を示します。100万円払って200万円戻ってくるとして、それが明日なのか1年後なのかでは意味合いが全く異なります。資金繰りというとお金を貯めることや資金移動のイメージがありますが、それらはひとつの機能でしかありません。資金を集め、投資のために使い、投資回収して儲ける。これをバランス良く行っていくことが、成熟社会の基本的な資金繰りと言えます。売上予算は本当に必要なのか成長社会では、予算(予測売上)を立てて達成しようとすることが普通とされてきました。これはよく考えると面白いことです。予算を立てられるということは、未来が読めるということです。成熟社会では、未来は予測できません。予算を立てたとしても机上の空論であり、目標にしかなり得ません。成熟社会においては、売り上げの予算を立てるという行為自体に、そもそも意味があるのかを考え直さなくてはいけません。例えば、もし自分の会社が予算達成をできなかった場合に、社員の首を切るでしょうか。おそらく切らないでしょう。切ったらさらに弱体化してしまいます。逆に予算を達成できた場合に、定期昇給以上に社員に還元するでしょうか。良くて期末賞与、多くの場合は内部留保となるでしょう。もし、常に昨年より売り上げが上がる体制が整ったと確信できれば、給料を上げても問題ありません。成長社会では社会が売り上げを押し上げていたので、年功序列で給与を上げていくことができました。しかし売り上げが増える体制が整っていないのに毎年売上目標値が成長しているのであれば、どこかで無理が生じているはずです。私自身、粉飾決算をしている会社を何社も見たことがありますが、とても残念なことです。いずれにしても、社員の待遇を大きく変えるものでなければ、少なくとも社員には予算は必要ありません。企業のマネジメントの目的は、社員のパフォーマンスが120パーセント以上出せる状態をつくることです。その結果に基づいて儲かっているかどうかを考えればいいのです。そもそも予算によってモチベーションを上げようという行為、予算達成するために今後どうしなければいけないかという考え方は、ほぼ根性論です。社員の忠誠心が高い成長社会であったからこそ成り立ったものです。個別化、多様化した成熟社会には適合しません。改めて予算管理というものがそもそも必要なのかを考え直すべきです。

 

間接金融から直接金融へ

企業の資金調達は、基本的に間接金融と直接金融という二つの分野があります。担保や財務情報を基にして銀行に借りることが間接金融です。一方で株主などが直接投資するものを直接金融と言います。こちらは返済の義務はありません。成長社会の日本では、圧倒的に間接金融が多く利用されていました。しかし銀行もビジネスとしてやっていますから、きっちりとした保証がないと貸してはくれません。担保や財務情報をメインとし、投資してもうまく回収できないなど懸念事項がある企業には貸さないでしょう。間接金融と直接金融の違いは、過去か未来、どちらを見ているのかということでも説明できます。担保はいまあるものであり、財務情報は過去の情報です。つまり、間接金融は法人の過去を見て、うまく機能しているから貸す、という形です。一方、直接金融は投資家が株主となって、この法人には将来性があると見込むなど、未来の事業の方向性に投資してくれます。間接金融では信用の担保として、取引銀行なども重要視されます。企業のホームページには必ずと言っていいほど取引銀行が羅列されています。成長社会における信頼性なのでしょうが、そもそも銀行との付き合いとビジネスモデルは何も関係ありません。優良なビジネスモデルを持っている企業であれば、取引銀行とは無関係に評価されるべきです。これからの間接金融は、赤字の会社でも将来性があれば貸す、という形でなければ成り立たなくなります。これからは「企業の成長率と時価総額」が「銀行の金利の利率と借入金」より低くなることが十分あり得ます。人口増加を前提としたビジネスモデルをしている企業が多い地域では、「お金を貸して経済成長」という地方銀行や信用金庫のビジネスモデルが成り立たず再編が進むでしょう。いま一度、金融機関は企業と連携して、一緒にビジネスを育てていく姿勢を持つことが必要です。晴れた日に傘を貸しても儲かりません。問題はビジネスモデルをきちんと評価できるのかということになりますが。成熟社会に生まれる企業として、未来の価値をつくっていこう、イノベーションを起こしていこうと考えるのであれば、主流になってくるのは直接金融です。近年の直接金融は、株式投資型クラウドファンディングやソーシャルレンディングのように、消費者や一般人が投資をするという方向に流れています。この概念がこれから主流になっていくでしょう。いままでは、資金調達をしてからビジネスを始めるのが主流でしたが、これからは逆をたどる企業も多くなるでしょう。商品型クラウドファンディングでは、ビジネスが成立してから資金調達をすることができます。この考え方でいけば、ビジネスコンセプト次第で間接金融による資金調達なしでビジネスを進めることが可能になります。法人の資金調達は、間接金融だけではありません。今後の成熟社会を見据えて、どうやって直接金融に切り替えていくのかを考えることも、ひとつの手であると言えます。広がるコスト削減の可能性成長社会では自前主義がほとんどでしたが、成熟社会では日進月歩の技術発達を背景に、業者だけでなく、一般人を企業活動の中に組み入れることも可能となっています。Uウーバーber Eイ ーツats はレストランで作った配達用の料理を一般人が自転車で運びます。Uber としては間のマッチングシステムをつくっているだけで、料理を作る人も運ぶ人も雇っていません。通常、配達には運送業者を使うところを一般人に運んでもらいます。この方法を「クラウドシッピング」と呼び、物流コストを減らすことができます。メルカリやヤフオクのようなCtoC取引(一般消費者間取引)には専門の設備なども出品されており、設備導入コストを減らせます。

特に「シェアリングエコノミー」はとても重要です。製造業でも3Dプリンターをシェアするなど、設備のシェアが広がっています。また「アイディアソン」や「ハッカソン」のように、興味のある人を集めたコンテスト(能力のシェア)から生まれるオープンイノベーションも最近増え始めています。新しいビジネスを起こすときにも、自前主義はあくまで他社に渡したくないコアな部分(コアコンピタンス)だけに絞り、そのほかはできるだけコストを削減することを考えてもいいと思います。資金調達はクラウドファンディングを使い、ビジネスコンセプトで共感を得て資金調達してから商品を作る形にすれば、無駄な在庫コストを省けますし、リスクも減らせます。既存のビジネスにおいてもIT化をさらに一歩進めて、RPAなどを使って、人手を介さないことでコスト削減をしたり、AIを使ってさらに上層の処理を行うことも可能となるでしょう。経営者は技術発達へ常に意識を向けてコスト削減していき、価値を作る方向への投資をしていく必要があるのです。お金の基本のまとめこれまで述べてきたことを、貸借対照表(B/S)と損益計算書(P/L ) にまとめます。貸借対照表で集めた資金の出所や使い道は、損益計算書で結果が出ます。集めて、投資して、回収する。この流れは貸借対照表の右側で集めて、左側で投資して、損益計算書で投資回収するという図式になります。損益計算書は、その年のものでしかありません。ダイエットに例えるならば、今年は5キロ痩せた、ということだけがわかるものです。貸借対照表は創業当時からの結果がずっと蓄積されていきます。ダイエットで言えばプロポーションであり、体型やスタイルになるのです。企業の形を見るにはこの二つを同時に使うことが必要です。多くの人はこの結果を元にメタボになっていないか、企業のプロポーションを見ていくのです。貸借対照表の右側の負債の部は間接金融か直接金融か、資産の部は何に投資をしていくのか、損益計算書の費用はいかに新しい技術で減らしていき、売り上げを上げていくかといったことを、ひとつに俯瞰して見ることができるのがこの二つの会計書類です。経営者としてはダッシュボードとして大いに役立てたいところです。何に投資をするか既存事業を育てる投資ビジネスを育てるための投資の考え方は、既存事業と新規事業で少し異なります。まず既存事業で必要な投資は、「価値を生み出すもの」に対する投資で、大きく分けて人、IT、研究開発の三つになります。人やITについてはここまでにも述べてきましたが、研究開発費もとても大事な投資です。毎年投資額を計上して価値を生み出す必要があります。しかし、市場が急速に伸びている分野だと、その伸びに追いつくためにさらに投資が必要になりチキンレース化します。競争に負けてしまえば企業はどんどん疲弊し、投資回収もできないかもしれません。研究開発費がうなぎ昇りに上昇し続ける分野は特に危険です。既存事業のゴールは、投資をしなくても稼げるビジネスが成り立つこと、または経験則を蓄え、少ない投資でお金が稼げるものをつくり上げていくことです。競合との兼ね合いもありますが、大きな売り上げではなく、細く長く稼げるようなニッチビジネスでもいいのです。人や投資が必要なく、少額でも利益が積み上がっていく〝打ち出の小槌モデル〟になれば、会社にとって頼れるストックになるでしょう。一度マインドシェアを獲得した商品やサービスは、ブランドが脅かされない限りは売れ続けていきます。ブランド維持のための費用はかかりますが、そのようなコア商品を手に入れたら、商品への投資よりブランド確立のためのエコシステムをつくり上げる仕組みへの投資が有益です。さらにブランドを高めることができ、参入障壁を築けます。新規事業を育てる投資打ち出の小槌モデルで得た利益で新規事業・サービスを立ち上げるのが理想です。成熟社会は分散投資が基礎になります。新規事業においては、小さいビジネスでも着地できるのであればどんどんやっていくことが肝となります。新規事業には二つの考え方があります。誰も手を付けていない分野にチャレンジするか、誰かが手を付けている分野で立ち上げるかです。

誰も手を付けていない分野は、誰かがやろうとして失敗したか、本当にいままで誰も気づかなかったかになります。当然ハードルは高くなります。自分たちだからできる何かをはっきりと見つけた上での投資が必要です。すでに誰かが手を付けている分野で新規事業を起こす場合、まず、既存事業の価値を高めるシナジーがあるかがポイントになります。例えばパソコンを作るメーカーがプリンターを作る、あるいはパソコンスクールを開く、といったことです。そして、自分たちの持っているものがその分野の競合他社にとって異分野のものであるかも重要です。敵は異分野からやってくるということを逆手に取り、攻め込む側になるわけです。新規事業は小さなことから着実にやっていく姿勢が大切です。細々と続けたビジネスでもM&Aで事業を大きくできたり、価値が高まれば売却できたり、ということもあり得ます。ただ、注意すべき点があります。第3章でこちらの知識や経験が高まってないときに、アライアンスを結ぶのは危険と述べました。M&Aも同様で、欲しいからといって知らないものを買ってはいけません。相手の企業やその分野に対する知識を持たなければ、結果として利用されてしまうこともあり得るからです。

 

第8 章すべての歯車をかみ合わせるために

ものの見方を変える
相反する思考法

最終章では、自分たちのビジネスを、実際どのように書き換えていくかを順を追って説明し、成熟社会のさらなる未来にどう立ち向かえばいいのかをお伝えしていきます。その前提として、認識しておかなければいけない思考法があります。私は成熟社会に必要なものの見方を〝相反する思考法〟と呼んでいます。〝二律背反〟〝万物流転〟〝矛盾統合〟の三つを統合したものです。ひとつ目の二律背反には「すべてのものは二つに分かれる」という意味があります。ある物事を一方向からしか見ていない人に対して、「もうひとつの見方があるよ」と説けるかどうかです。コップに半分入った水を見て、半分も「ある」と見る人がいれば、半分しか「ない」と見る人もいます。物事を片方の側面でしか見ることができなければ、成熟社会では立ち行かなくなります。物事には必ず良い面と悪い面との両方があり、その二つの見方が同時にできることが重要なのです。二つ目の万物流転は、「物事はひとつの状態には定まらない。常に変化し、循環している」と意識することです。二律背反によって、ある物事の片面ともう片面を同時に見ることができた後に、双方の考えを行き来して、その物事が循環していることに気づく思考です。良いも悪いもある、中ちゆう庸ようもあるし、真ん中もある。そうした考え方で思考が偏らず、流れていくように両極面へと変化できることです。自然界にあるものは水の流れも、太陽の動きも、すべて循環しています。読者のみなさんは「夜明けは明るいのか暗いのか」と聞かれたら何と答えるでしょうか。夜中と比べたら明るいけれど、昼間と比べたら暗い。夜明け自体は明るくもあり暗くもある。そもそもいつが夜明けだという明確な定義すらないのです。人の意見も同じで、完全に正しい意見はありません。あくまでその時点でジャッジをしているだけなのです。三つ目の矛盾統合は、「一見対立しているかのような物事を統合すること」です。例えば少年犯罪の問題を考えるとします。二律背反で見れば、「少年犯罪には厳罰を」と「少年犯罪には更生を」という対立意見があることがわかります。万物流転の考え方をすれば、どちらが正しいとも言えないことがわかります。そこからもう一歩進むと、この矛盾を統合することができます。先ほどの対立で言えば、どちらも目標は、少年犯罪をなくしたい、または少年犯罪をつくらないということです。互いに反しているものでも、矛盾は統合されていきます。表裏がつなぎ目なくつながるメビウスの輪。表側、裏側をそれぞれ反対方向に歩いていけば、必ず相手にぶつかります。そのときに「オレは表を歩いていた」「裏を歩いていた」と主張しても、そもそも表と裏の区別がないのですから意味はありません。矛盾を受け入れ、「矛盾が生じているということは区別のないものである」ということを認識すれば、お互いの主張は意味をなさないものだということがわかります。最近、事業承継についてのご相談を受けることが多く、そこでもこの相反する思考法を使います。先代と次代で互いに片方しか見えていないか、対立をしていることが多い。そこで、それぞれに二律背反をつくり、気づきを与えながら、万物流転の一部分でしかないことを図示化していきます。そして最後は「どちらも会社を良くしたいのですよね」という形で矛盾統合をしていきます。さらに言えば、相反する思考法によって矛盾統合すると、その結果に対してまた二律背反が適用され、もう片方が生まれます。思考の次元が以前より上がるのです。良い、悪いだけで判断し、そこにとらわれてしまうとビジネスを昇華させることはできません。相反する思考法は、成熟社会を生き抜く経営者には必ず身に付けていただきたい考え方です。日本は、もともと矛盾を統合しているような国です。古来、八百万の神が崇められてきたように、日本人はそもそも多様性を認めており、小さなコロニーをつくることが得意な民族です。異国からラーメンが入ってくればさまざまな味のラーメンを作ります。カレーが入ればスパイスの魅力を生かしながら、自分たちに合う味に作り変えていきます。そのような風潮の中で、西洋の考え方である善悪二元論が馴な染じまないのは必然でしょう。ビジネスに当てはめてみるとよくわかります。決断を先延ばしにし、微妙なすり合わせを得意とする日本人には、相反する考え方を包んでしまうような矛盾統合のやり方が適しています。そこからイノベーションが起こると考えていいのです。常に自分の当たり前を疑う相反する思考法のベースにあるのは、第2章で述べたような、自分の当たり前を疑う意識です。それは商品開発やビジネスメイキングをしようとするときだけに限りません。普段の生活から常に、いま自分の目の前に見えているものに対して、疑問を持つことが大切です。それはとても大変な作業ですが、繰り返すことで自分にとっての当たり前が変わる瞬間があります。人が当たり前と思っていることに対し、自分だけが当たり前じゃないと思い、気づく。それがイノベーションの種になります。常に自分の主観を疑い、正しいものは世の中にないと考えていれば、別の見方ができます。投資の世界でも、人が儲からないと思うところで買い、人が儲かると思って過熱しているときに売ることが最も多くの利益を稼げます。ビジネスでも人がやっていないことをやることがポイントです。そのために当たり前からの脱却が必要なのです。相反する思考法を適用し、自分の考え方をもう一回見直してみる、これが成熟社会で求められるスキルなのです。

 

ビジョンの描き方

二つの〝そうぞう力〟

本書では繰り返し〝ビジョン〟の大切さをお伝えしています。ここで改めてビジョンを定義します。「自分の世界観の中で自分はどう在りたいかという自分像」です。成熟社会では見つからない人も多いでしょう。朝は同じ時間に起床し、学校へ。帰宅後は塾に行き、夕飯を食べてお風呂に入って寝る。決まったルーティンを繰り返し、その生活を送っている自分に対して疑問を持つこともありません。ビジョンを持てない人が悪いということではなく、自分の在り方を問う時間を持ちづらい社会なのです。そうして、ビジョンを確立するために必要な、二つの〝そうぞう力〟も働かなくなります。ひとつ目は〝想像力〟。自分の頭の中に思い浮かべるイマジネーションの能力です。二つ目が〝創造力〟。物を作るなど実際に手を動かすクリエイティビティの能力です。この二つが合体したところにビジョンがあります。幼い頃、秘密基地やおままごとで遊んだことがあると思います。秘密基地を大人が見れば、ゴミやダンボールなど、みすぼらしいものにしか感じません。しかし、子供は秘密基地を作ることが楽しくて仕方なく、夢中で遊び続けます。砂場のおままごとも実物とはかけ離れています。それなのに楽しいのは、頭の中のイマジネーションと、手を動かして作るクリエイティビティの二つがマッチしているからです。成熟社会のビジネス環境において、ビジョンを確立することはパフォーマンスを発揮するためにも重要です。そしてパフォーマンスを発揮するということは、夢中で没頭する秘密基地やおままごとに通じることです。みなさんは秘密基地やおままごとのように仕事に夢中になっているでしょうか。そうでないのであれば、それはなぜでしょうか。仕事自体に面白いもつまらないもありません。ビジョンを明確にして、それに沿った仕事をするか、ただ何となく任された仕事をするのか、すべては自分次第です。秘密基地やおままごとのようにビジネスができているか?ビジョンを描けているか?自問してみてください。

 

ビジョンを明文化する

誰もが本当はビジョンを持っています。明文化していないために、気づいていないだけです。ビジョンメイキングは、自分の中の意識を掘り起こし、言語化して構築する作業になります。

①自分が大事にしている言葉を五つ書き出します。

②五つの言葉を無理やりでもいいのでつなげて文章にします。

③つくった文章を見ながら「私は~である」という文章に変更します。

①は愛、誠実、家族、友情、お金、自立、自由、安定……何でも結構です。

ここでは例として「達成」「責任」「誠実」「快適」「自由」とします。次に②。登場人物や環境は自分に合わせて自由に考えましょう。「責任感を持って仕事にあたり、顧客に誠実な対応をしながら、営業成績1位を達成、それによって快適で自由な生活を手に入れる」。この文章を読んだとき、しっくりとくるのであれば、一歩ビジョン確立に近づいていることになります。しっくりこないようであれば、もう一度文章をつなげてみます。この判断は直感で大丈夫です。そして③。ビジョンは自分の世界観での自分の在り方です。主語を「私」として在り方を示す「である」という形で終わらせます。「私は快適で自由な生活を達成しながら、責任感と誠実さを大切にする人である」これが自分のマインドの世界で描く自分の在り方、ビジョンになります。この文章をよりしっくりくる言葉に置き換えながら磨き上げていきましょう。ビジネスメイキングビジネスを考える順番成熟社会のビジネスのつくり方は成長社会とは異なります。成長社会のコンサルタントは、何か新しいことをしようとすると、まず環境分析から始めます。しかし、成熟社会ではニーズもウォンツも潜在化しているので、環境分析では答えが出ません。環境分析はビジネスモデルをつくるときに必要ですが、まずは潜在的ニーズを発見し、ビジネスコンセプトをつくることから始まります。成長社会の慣習に影響されず、前章までにお伝えした内容について、以下の順番に沿って考えていけば、成熟社会を生き抜く上での大きなヒントを得られるはずです。

 

①ビジョンを確認する

ここで会社のビジョンを確認します。ビジネスメイキングにおいてつくられるビジネスは、このビジョンの達成のためにつくられることになります。第6章で述べたマインドマニュアルのある会社ではすでにビジョンが定義されているかもしれませんが、そうでない場合も多いと思います。ただ、明文化されていないだけで、どの会社にもビジョンはすでにあるはずです。創業者が企業をつくって実現したかったこと、それがビジョンです。何代も続く会社ではわからないかもしれませんが、どこかに残されていると思います。私がコンサルティングをさせていただく会社では、その会社のホームページから経営者の方にしっくりくる言葉を選んでいただくことがよくあります。起業する場合は、先ほどの個人のビジョンと同じように、会社にとって大事な言葉を選び出し、つくっていきましょう。ただしこの場合も、新しく会社としてのビジョンをつくらなくても、創業者ですから個人のビジョンと会社のビジョンが一致することが多いと思います

②現状のビジネスコンセプト・ドメインの確認

第3章で述べたビジネスコンセプト・ドメインの確認を行います。ドメインは「〝誰〟の〝何〟を〝どうやって〟」の三つで表す部分、ビジネスコンセプトとは、ドメインを含んだ「どんなビジネスなのかを簡潔に表したもの」です。これから起業する場合、既存のビジネスはないので、ここは素通りして大丈夫です。すでにあるビジネスは成長社会に最適化されている場合が多いと思います。既存事業にイノベーションを起こそうとするのなら、ここで確認、見直しをします。第4章で述べた成熟社会におけるペルソナとターゲットを探しましょう。

③ユーザー観察、潜在的ニーズの発見

第2章で述べた潜在的ニーズの顕在化を行います。ユーザーを観察することで無意識の困り事を見つけます。ここがビジネスの種になります。当たり前からの脱却を意識して見つけていきましょう。

④共感を得られるプロトタイプの作成

何度もお伝えしているように、消費者は答えを持っていません。潜在的ニーズを見つけたら、そのニーズの解消を図り、共感を得られるプロトタイプをつくります。第4章では共感という磁力の重要性とテストマーケティングについてお伝えしました。第3章でのモジュラーシンキングも加えて、共感の得られるプロトタイプをつくっていきましょう。

⑤ビジネスコンセプト・ドメインの再定義

ここがいちばん重要なところになります。消費者の共感が得られるプロトタイプができたら、②で確認したドメインを再定義します。③と④で得られた情報や気づき、プロトタイプの出来に合わせて、「〝誰〟の〝何〟を〝どうやって〟」の三つをずらしていきます。これから起業する場合は、ここでドメインとビジネスコンセプトを決めます。読者のみなさんの中には成長社会のビジネスコンセプトではうまくいかなくなったために、新しいビジネスを考えている方も多いと思います。企業のドメインを広げないまま、新しいビジネスを始めてもしっくりこないものになることは目に見えています。多くの企業は自分たちで自分たちのドメインを狭めて苦しんでいます。成長社会の「選択と集中」の弊害と言えるでしょう。成熟社会に切り替わったいま、ドメインの再定義が重要なのです。

⑥環境分析

ここでの環境分析は⑤で決めたビジネスコンセプトやドメインが自社の環境にマッチするかどうかを確認します。自分ではどうにもできない外部環境と、自分で少しでも操作できる内部環境の二つから情報を得て分析します。次の⑦ビジネスモデルの再構築に役立つ材料を得るためにも、アライアンス先など自社を取り巻く環境を一度精査しておく必要があります。

 

⑦ビジネスモデルの再構築

⑤で再定義したビジネスコンセプトが広く共感を得られるものなのか(やってみないとわかりませんが)、自社でビジネスモデルとして構築できるものなのかを分析します。そして第3章にあるようにリスク分散を考えながら、ビジネスモデルを再構築します。この時点で第4章でお伝えしたような、テストマーケティングを再度行いましょう。

⑧目標設定と戦略の確立

「戦略」は〝戦いを省略する〟と書きます。文字通り、戦いを省くことを考えます。通常であれば100回戦わなければいけないところを、戦略を駆使して10分の1以下に減らすことを考えるのです。この考え方では、本当に強い戦略なら戦わずして勝つことになりますが、世の中はそう甘くはありません。どうしても戦いは残ります。その、残された戦いに「戦術」が必要なのです。戦術を駆使すれば、残りの戦いに勝つことができます。戦略は無限にありますが、既存市場にない価値を提案する、競合とぶつかる要因を排除する、競合が持っていない自社のコアコンピタンスで他市場に乗り込む、といったことなどが考えられます。M&Aで競合企業の協力企業を買ってしまうことも戦略のひとつです。常識を疑う、少しずるい考え方が戦略には必要です。企業や経営者はドメインを再定義してビジネスモデルをつくった後、目標を決めて戦略を考えます。いままでのように、目の前の出来事に真っ向勝負で突き進むのではなく、どう戦わずして、勝利するのかが重要です。ここから先は多くの社員を巻き込んでいきます。第5章で述べた成熟社会における企業と社員の関係性を意識しましょう。これまでのやり方を変えずに、ただ「やれ」と言うだけでは社員はついてきません。経営者として戦略も戦術も持っていない人とみなされます。きちんとした目標を掲げ、戦略を社員に示して、成熟社会に立ち向かいましょう。くれぐれもいままでのやり方を続けないようにしてください。誰でも生き残りたいと考えています。未来を感じない指示は、部下の離反を誘発します。

⑨ビジネスモデルの仕組みをつくり上げる

戦略ができたら、部下や関係者とビジネスモデルの仕組みをつくり上げていきましょう。つまり、マーケティング、財務、人材、内部プロセスの4分野です。すべてにおいて重要なのは人です。人は感情の動物であり、第6章でお伝えした通り、感情の管理が必要です。部下のパフォーマンスを最大限に引き出すことに加えて、当たり前を壊し、ビジョンを確立させ、第5章で述べたように再定義した企業・部署のビジョンと第6章にある適切なリーダーシップスタイルで部下に未来を感じてもらえるように導くことが重要です。問題が起きたら同じく第6章のマネジメントスタイルをさまざまな角度から管理し、うまく軌道修正する必要があります。私は成熟社会の経営はすべて感情の管理に集約されると常々実感しています。そして、成長社会の人たちはこれがことさら苦手です。「仕事だから」「会社だから」といった言葉で片付ける人ほど、努力を怠っています。そういう言葉を使っている人はまず自社の離職率と、補充にかかる採用コストを確認してください。感情の管理をできるかどうかがビジネスモデルの成否を分けます。

⑩マーケティング

第4章で述べたようにマーケティングは勝手に売れる仕組みをつくることです。マーケティングの戦略は客動線の設定です。何もすることなく顧客が自社に注文をするように客動線を構築します。顧客が意識しないで共感し、購入する客動線をつくります。そしてLTVとマインドシェアを高めて、ブランディングを行い、参入障壁を築きます。マーケティングの戦術は製品プロモーションのほかに、広告やPR、コミュニティづくりなどです。セールスとの連携も必要でしょう。管理運営はどれだけ顧客のマインドシェアを獲得しているかを調査して、戦略・戦術を変更していくことになります。成熟社会ではビジネスコンセプトと共に顧客のマインドシェアの獲得が必須です。

⑪財務管理の決定

第7章で述べた財務については、調達と投資が重要です。ビジネスモデルを動かすことも大事ですが、目的はあくまでビジョンの達成であることを意識しておく必要があります。

⑫内部プロセスの改善

ビジネスモデルを始めた初期は、どうしても人手が多くかかってしまいます。第3章で述べたようにテクノロジーを使って、打ち出の小槌モデルにする必要があります。いち早く次の価値生産に人材を移して新しいビジネスを生み出せるように、ビジネスモデルが固まり次第、内部プロセスの改善やマニュアル化を早急に行います。

⑬人材育成の仕組みを構築

組織にはいろいろな〝じんざい〟がいます。いるだけで悪影響を与える「人罪」、ただいるだけの「人在」、役に立つ「人材」、価値を生み出す「人財」です。新しいビジネスの立ち上げは、育成機会として申し分ありません。人財を生み出す育成の仕組みを構築しておきましょう。マニュアルの作成なども全体理解の意味で重要な育成機会です。成熟社会では特にアライアンスとM&Aも視野に入れておきましょう。第3章で述べた通り、注意は必要ですが、軌道に乗ったビジネスモデルを拡大する上で重要な戦略です。

成熟社会の企業の役割

未来はどうなるのか

〝幸せの定義〟を誰も刷り込めなくなった成熟社会では、実存的虚無感を解消するため、ど

うやって幸せになったらいいのかを熟考する人が増えます。また、人との関係性を保って

いたいという本能が表面化されていきます。その人のビジョンや価値観、信念といった目

に見えないものがより重要になっていきます。これからの企業や社会は、実存的虚無感と

関係性を重視していくことが必須です。

成長社会では、仕事は生活のためのものでした。成熟社会では既存の枠組みを外れ、仕

事でも好きなことをすることが認められます。しかし、実存的虚無感に襲われると、そこ

そこの好きなことでは満足感はあっても、幸福感には足りないということが起こります。

成長社会では技術が人を苦痛や不便から解放してくれ、幸せを感じることができました。

成熟社会のいまは、ソーシャルメディアやSNSを通して世界中とつながれる世の中です。

フェイスブックには

10

億人のアカウントが存在しますが、そのすべての人とつながりたい

と思う人はいないでしょう。自分がつながりたい人とだけつながることを希望しています。

つまり、つながれるという可能性と、つながりたいという感情は必ずしもマッチしていま

せん。技術が人間の感情を追い越してしまっているのです。ひとりで複数のアカウントを

持って、いくつもの自分を持っている人も少なくなく、自分をさらに細分化して実存的虚

無感を増やしている人もいます。

マーケティング3・0(コミュニティ)、マーケティング4・0(自己実現)と進むように、

個人のコミュニティが広がり、さまざまな形で発達していき、パラレルキャリアも増えて

いくでしょう。パラレルキャリアの人が増えると、働き方も変わり、所属・承認・実現と

いう三つの欲求がぐるぐる回る世界になります。

価値の評価軸も多種多様になります。これまでの日本では、資格や学歴、職歴を持つ人

が素晴らしい、または優秀とされてきましたが、個人個人が持つ経験や感性が価値を持つ

時代になってきます。そこに技術の発達が伴い、労働は人が苦労してやるものではないと

いうパラダイムシフトが起こります。

さらに、社会保障、ベーシックインカムなどが日本に導入されれば、この傾向はより強

くなっていく可能性が高くなるでしょう。

 

社会としてはコミュニティ同士の共存共栄が進む一方で、個人としては個別化・多様化

していきます。相反する思考法で考えると、統合と分離の矛盾統合による実存的虚無感を

解消しながら、世界は進んでいくと予測されるのです。

感謝を交換する場所

成熟社会の企業として、私たちは何をしていくべきなのでしょうか。

「会社」は「人が会う社(やしろ)」と書きます。社(やしろ)には集合体の意味や神聖な

場所といった意味があります。これからテレワークも進むでしょうし、個人事業主として

業務委託を受けることもできますから、お金を稼ぐだけなら会社に所属する必要はありま

せん。

人は感謝を伴ってお金を払います。コンビニで100円の梅おにぎりを買ったとします。

もし、自分でお米を育てて収穫し、のりを海で採取して干し、梅を前年から干して作ろう

としたら、とても100円の労力ではできません。だからこそ、感謝を持ってお支払いし

て、梅おにぎりをいただくわけです。

つまりお金の成分は「感謝」でできている。となれば、会社ですべきことは感謝の交換

です。生きる活動こそが感謝の交換であり、活力を持って生きて、人が幸せになるために

こそ、会社は必要なのです。会社の中の社員はもちろん、外の顧客やパートナー、株主な

どのステークホルダーにいたるまで、みんなが幸せになるために、会社は存在すると思う

のです。

「会社」という言葉をひっくり返すと「社会」になります。人が集まり会社をつくり、会

社が集まり社会となる。社会において、会社はお金のためにあるのではなく、人のために

あるはずです。社員が幸せになれる企業が増えれば、顧客を幸せにできる。顧客が幸せに

なることで、会社には利潤が生まれ、関係各社やその家族といったように、さらに多くの

人が幸せになっていきます。成長社会ではずっと競争をしてきましたが、成熟社会では、企

業は共創をベースにみんなの幸せのために存在するようになるでしょう。

これからは「感情の管理」にフォーカスし、人の結び付きが強い企業が強くなっていき

ます。決して、お金が潤沢にある企業が強くなるわけではありません。人を疎かにする企

業ではだんだんと離職が増え、活動できず淘汰されます。人の感情や関係性を重視した企

業に人が集まり、支持されるのです。

成熟社会における強い会社は、「感謝の交換の場所」になれる会社。この言葉を覚えてお

いていただけると嬉しく思います。

 

あとがき

本書を読んでいただき、いかがでしたでしょうか。

「うちの会社、成長社会ど真ん中だわー」

「いままでと違い過ぎて、正直うちの会社では変化が無理だと思う」

いろいろな声が聞こえてきそうです。でも安心してください。まだ成熟社会になったば

かりです。ビジネスシフトはここから本格化します。いまからでも十分間に合います。も

し、読者の方が部下ならば、この本をこっそりと上司の机に置いてみてください。そこか

ら新たなスタートになるかもしれません。

産業革命や情報革命を経て、成長社会ではハード、ソフト面など人間を取り巻く環境が

進化してきました。成熟社会では〝感情の管理〟〝実存的虚無感〟〝ビジョン〟〝幸せの定

義〟など人間のマインド面が大きく関係していきます。つまり心の中が進化するのです。精

神、魂魄、意志といった人間本来のマインド面の要素が経営に直結していきます。

これまでのハード、ソフト面では設備投資することで優位性が図れました。しかしマイ

ンド面はお金では買えません。成熟社会では人間同士の営みが会社を強くしていくことに

なります。顧客との関係性は「共感」、「マインドシェア」「ブランディング」「顧客ロイヤ

ルティ」といった目に見えない部分で決まります。

技術の本質は時間と空間を削減することです。コンピューターの処理速度は上がり、時

間を削減しました。Eメールは手紙が移動する空間を削減しました。いまでは技術が人間

の速度を追い越して、人間がボトルネックになっています。もう、効果効率を追い求める

のはやめてもいいのではないでしょうか。人間の幸せはそこにはありません。

私はよく「ビジネスは江戸時代の商売に戻った」と言っています。江戸時代の人はきっ

と幸せに過ごしていたと思うのです。技術がなかった頃の幸せと、技術が人間を追い抜い

てしまった後の幸せには、技術に振り回されない人間本来の幸せという共通点があるので

はないかと感じます。成熟社会の経営の鍵はそこにあり、今回みなさんにその鍵をお渡し

できたと思っています。

もっと有名な経営者が書いていれば、この本はより多くの人の心に届いたのかもしれま

せん。しかし、ここまで読んでいただいた方には、微力ながらも何かしらのお役に立てた

のではないかと思います。

最後になりましたが、読者のみなさんに感謝申し上げます。ひとりでも多くの方が苦痛

から解放され、幸せな笑顔で包まれますように。